(゚、゚トソンフラジールのようです

32 名も無きAAのようです 2013/01/24(木) 00:26:53 ID:XjXUAsU20
2.決めない

私は今、メモ用紙とノートパソコンを目の前にして二つの事柄の間で往来している。
一つはブーン……内藤ホライゾン氏について。そしてもう一つは、就職活動。
どちらもハインが持ち込んできたものだ。当人は何一つ悩んでいないのに私は悩まねばならない。

何となく、悔しい。

部屋の中をぐるぐると回って思案する。小説の文章をひねり出すときによくやる方法だ。
運動はからきし出来ないが、歩くことで脳が活性化する、ような気がする。
ついでに独り言を垂れ流すと捗るのだが、これはある時期から恥ずかしくなってしていない。

しかしながら、このような場合の明確な解答とはどのようなものであろうか。
まず私はどちらの問題に集中するかを決めなければならない。
それから、その問題に取り組むのだ。共通事項は一つ。やるか、やらないか。

ハインの持ち帰ったメモ用紙を何らかに利用するのか、しないのか。
ノートパソコンに表示されている就活サイトを駆使して就職活動をするのか、しないのか。

どちらも私に与えられた、私のための問題だ。だから私が自分で決めなければならない。
そう、決めなければならない。決めなければならないのだが。

(゚、゚トソン「んーー」

と、私は大きく伸びをして。
そのまま、背中からベッドに倒れ込んだ。

33 名も無きAAのようです 2013/01/24(木) 00:27:36 ID:XjXUAsU20
くすんだ天井を薄ぼんやりと眺めながら、私は考える。
周りは、どうだっけ、と。

知り合いの中には彼氏に養ってもらう、と公言する豪気な女性がいる。
確かに彼女には一つ年上の恋人がいて、その男性は割と立派な電機メーカーに勤めている。
彼女はすでに恋人の同意を得ている。故に彼女は自由だ。就活をせず、相変わらず楽しくやっている。

その選択は、間違っていないと私は思う。
今のご時世、無闇に就職してしまえば転勤などの事情で離ればなれになることは少なくない。
何よりどちらか一方に大きな後ろ盾があって頼れるなら、頼るに越したことはない。

まあ、彼女のように豪語する者は少ないにしても、
実際のところ彼氏彼女の事情を勘案して就職活動をする人は少なくないようだ。
無論、そうせずに互いが自由にしているカップルも見られるが、彼らとていずれ同じ問題に直面するだろう。

現在のところ、私にそういう人はいない。
……それ以前に、他人のことを考えて現実逃避している場合でもない。

大学には様々な企業がやって来て、殆ど毎日どこかの会館を使って説明会を開催している。
聞いたことのある企業も多い。誰かが言っていた。今はまだ、有名企業が来てくれる、と。

合同説明会という、数多の企業が共催する説明会にも参加してみた。
証明写真も撮った。リクルートスーツに身を包んだ自分は妙に堅い表情をしていて何となく笑えた。

今のところ、それだけだ。

幾つかの企業の説明を受けてみた。中にはやたら熱心に説明してくれる人もいた。
「我が社は一人一人が挑戦者なんです!」――行きたくないな、と思った。
向こうもそれが狙いなんだろう。最初から会社の空気を教えてくれているのだから良心的だ。

34 名も無きAAのようです 2013/01/24(木) 00:28:18 ID:XjXUAsU20
……親にでも、訊いてみようか。

そんな案が思いつく。そのついでに携帯電話を手に取った。
少し遠い故郷で暮らしている両親は私が一人暮らしを始めるまで共働きをしていた。
父は地元の銀行員、母親は公務員。お見合いによる晩婚だった。

三年前、母は仕事をやめて専業主婦になった。
育児に専念するために退職、というなら分かるが、母は育児が不必要になってから仕事をやめたのだ。
不満など何一つ無かったが、一応なぜ、と問うてみた。すると母はこう答えた。

「肩の荷が下りたからね。私は自由になるのよ。中途半端じゃ無い、割と本物の自由」

母の趣味は映画鑑賞と手芸。どちらもささやかな趣味だが、
専業主婦でも十分に満喫できる趣味でもある。

(゚、゚トソン「でも、まだ私の学費とか、世話になるのに……」

「大丈夫、父さんが昇進したから。上がるのよ、給料」

父は寡黙だ。たまに一緒に食事をしても殆ど喋らない。説教もしないし、褒めてくれることもなかった。
母は、「昔、色々あったそうだからねえ」と言うが、未だに私は明確な理由を教えてもらっていない。

そんな両親の間に生まれた私は、今日に至るまで随分と甘やかされて育ってきた。
大学の入学金も学費も、あまつさえ月々の仕送りまでお世話になっている。
私が現在の大学を志望した動機は皆無に等しい。自分の学力と大学一覧を照らし合わせた結果でしか無い。

その割に、随分と重い荷物を、両親には背負わせてしまっている。

35 名も無きAAのようです 2013/01/24(木) 00:29:00 ID:XjXUAsU20
一回生の春に、私は近所にあった個人書店でアルバイトをすることになった。
理由は一つ。本屋で働く自分を意外と簡単に想像出来たからだ。

店主は七十を過ぎた老夫婦で、殆ど道楽でやっているような店だった。
そのために仕事はあまりにも暇だった。たまに雑誌を読みに客が現れるぐらい。あとは寂然だった。

「トソンちゃんは」

ある日、お婆さんに訊ねられたことがある。

「将来、何かしたいことはある?」

(゚、゚トソン「えっ」

(゚、゚トソン「あー……」

(゚、゚トソン「そうですね」

私は悩んだ。悩みに悩み抜いた末に、何も出てこなかった。今と同じだ。
そうやって懊悩する私を見てお婆さんは朗らかに笑った。
腰が曲がっているせいか、私より随分背の低いお婆さんは子どものように見えた。そして言った。

「何もないなら、良いお嫁さんになるといい。それが、一番だね」

36 名も無きAAのようです 2013/01/24(木) 00:29:52 ID:XjXUAsU20
働いて稼いだお金は、たまに文庫本で費やされる以外は概ね貯金のための貯金となった。
いつか、せめて仕送り分ぐらいは親に返そう、などと目標を立てたが、今となっては本心か分からない。

去年の十月、私はバイトをやめた。きっかけは電話で聞いた母の一言だった。

「そろそろ就職活動とか卒論とか始まるんでしょう? アルバイトやってる暇も、ないんじゃないの」

そういうものか、と思った。母は尚早に騒ぎ立てるテレビの就活特集を見たらしかった。
そして同時に仕送りの増額を提案されたが、丁重に断った。十分な貯金があったからだ。

辞めること自体にさして抵抗はなかった。
お婆さんに会えなくなるのは寂しかったが、たまに客として訪れようと思った。
だから私はある日の仕事の終わりにお婆さんに、何気なく告げた。

「そうか、大学生だったねえ」

と、お婆さんは言った。

「それじゃあ、頑張らないといけないね。うん。頑張りなさい」

(゚、゚トソン「ごめんなさい」

と私は謝った。自然と口をついて出た言葉だった。他意の無い、純粋な謝罪の言葉。
そして私はアルバイトをやめた。言いようのない罪悪感でしばらく店には近づけなかった。

去年の終わりに、私は意を決して書店を訪れた。
錆び付いたシャッターが下りていた。『閉店しました』という紙が斜めに貼り付けられていた。

どこからか噂話が聞こえてきた。お婆さんが亡くなったんだ、と。

今のところ、私はその噂を信じていない。

37 名も無きAAのようです 2013/01/24(木) 00:31:30 ID:XjXUAsU20
(゚、゚トソン「……」

携帯電話を布団に投げる。そして枕に顔をうずめる。
足をばたつかせる。ひたすら無意味に。何より無意味なこの思考を追いやるために。

私は、一体何度こうやって自分の過去をひたすらに思い返したことだろう。
何か独りでは決められない問題に直面する度に、過去を辿っているような気がする。
それに何の意味があろうか。何が解決するというのか。忘却は、解決ではない。

挙句の果てに私は携帯電話を手に取り、それを布団に放り投げ、その行為を五回繰り返し、
画面から母親の携帯番号を選択して通話ボタンを押しかけたところで、もう一度布団に投げた。

(゚、゚トソン「やめよう、親に訊くのは、やめておこう」

決意は口に出したそばから綺麗に風化していく。

つまるところ就職活動というのは向こう四十年近い期間の生き方を決めるものであり、
そういう一大イベントにおいて他力本願の決め方をするべきではない、など、など。
それらしい理由は簡単に思いつくが、逡巡以上の思念にはなりえない。

世の中には、強制的に就職口を決められるケースが少なくないという。
家庭環境や所属ゼミの斡旋、先ほど考えた恋愛関係もその一つと言える。
私は自由だ。あまりにも自由だ。だから何をすることもできるし、

(゚、゚トソン「何もしたくないな」

と、消極的選択をすることもできる。

38 名も無きAAのようです 2013/01/24(木) 00:32:14 ID:XjXUAsU20
これは推測に過ぎないが、私が何も選ばずに無職の身となって両親の元に帰っても、
彼らは割と簡単に私のことを受け入れてくれそうな気がする。
そしていずれ適当な見合い話でもつけて私に異性をあてがうだろう。

何て贅沢だ。何て、何て贅沢だ。

大学生は就活において、一種恐怖に怯えている。
何に恐怖しているかと言えば、就職することが必ずしも安定に繋がらないという不安に、である。
だから誰もがより大手の企業を目指す。好きでなくとも潰れる心配のない業界を選ぶ。

公務員試験などはその最たるものだ。
何が出来るわけでもない、何もしたくない学生が取り敢えず公務員を目指す。

「公務員と一口に言ってもねえ、色々あるのよ、本当に」

かつて母はそんな愚痴をこぼしていた。

「世間様には怠慢だと叩かれるし。でも仕方ないのよ、公務員は法律や条例の下でしか動けないの。
 収入もまあ、そんなに良い方ではないわ。場所にもよるけどね。
 少なくとも実際の働きに見合うほどの収入を得ている人なんて、思ったより少ないものよ」

母がまだ学生だった頃、この国は希望に溢れていた。
いや、その言い方は過剰であるにしても、少なくとも目の前に道が続いていた。
だからこそ、母は何の気もなしに公務員という職業を選べたのかもしれない。

39 名も無きAAのようです 2013/01/24(木) 00:33:00 ID:XjXUAsU20
(゚、゚トソン「違う、違う、そうじゃないんだ」

もう一度携帯電話を取り上げて今度は就職サイトにアクセスする。
溢れんばかりの説明会、説明会、エントリー、エントリーの文字。
就活メイクの方法、なんて特集まで組まれている。

(゚、゚トソン「……」

去年、正式に就活が始まると同時に私はぽつぽつとそこそこ名前の知れた企業にエントリーをした。
するとその中の幾つかはアパートに随分と豪華な資料を送ってきてくれた。

会社について書かれた市販の本をそのまま送ってきた企業もあった。
そういえば、古本屋にこの手の本が大量に売りさばかれているのを見たことがある。

そこに書かれていたのは経営理念だとか仕事内容、社員の一日など、など。
どちらかと言えば抽象的な内容が多いような気がする。
彼らもまた、学生の心を掴むために考えに考え抜いたのだろう。

それらは今、部屋の片隅でちょっとした山となっている。

多分この考えは私だけが陥るものではないだろう。
熱血な、或いは積極的な、或いは意欲的な学生以外の殆どが。
周りに流されて就職活動をしているうち、あるときふっと気付いてしまうのだ。

私には、したいことが、ない。

40 名も無きAAのようです 2013/01/24(木) 00:33:50 ID:XjXUAsU20
しかし、果たして今までの人生において、したいことなど一度でもあったのだろうか?
そしてそのために今日までの時間を費やしてきたのだろうか?

私は漫然と高校まで進み、偏差値と照らし合わせて大学を選んだ。
心理学を選んだことにも大した理由はない。
その証拠に、同じ大学の法学部も受験していた。

だから私は思うのだ。就職活動は第三者による煽りに過ぎないのではないかと。
本当に自分のしたいことなど探さずとも、それなりの企業に入って、
それなりの仕事をこなしてそれなりにやっていければ、それでいいのではないかと。

結局、深く悩みすぎているだけなんだ。もう少しシンプルに考えたって良いだろう。
今までも選んでこなかったのだから、これからも選ばなくたって構わないはずだ。

……なんて、考えているうちに、今夜も何もせず終わる。
何故私はこんなにも、何もしない理由を探すのが得意なのだろう。

(゚、゚トソン「……は」

息を吐く。少し寒い。一月の妥当な寒さ。まだ早いが、眠るとしようか。

こんな風に日々の決断を先送りし続ける私には、
いずれ朝日が訪れなくなるのではないかと、時々不安に思うことがある。

41 名も無きAAのようです 2013/01/24(木) 00:34:52 ID:XjXUAsU20
……そう言えば。

(゚、゚トソン「どうしよう」

私の心は就活よりも先に片付けなければならない問題――すなわち内藤氏に向いていた。
正直なところ、こんな紙はちぎって捨てるのが最も安全のような気がした。

ハインに見せられた映像から判断するに、彼がとても正常とは言えない。
つまり、確証は無いにせよ、何となく、命の危険すら感じられるわけだ。

ただ、ハインに対する恩義が無いわけではない。
彼女が、そのコミュニケーション能力を駆使して二年間を費やしようやく探し当てた『変人』を、
無碍にしてしまうのも勿体ない気がした。忘れてしまっていたとはいえ、だ。

しかし、私が手にしたメモ用紙は、何度眺めても電話番号以外判別が付かない。
わざとやってるんじゃないかと思うぐらい直線が一本もなかった。
ネットで調べてみたところ、確かに薬の副作用でそういう症状が出るみたいだ。

(゚、゚トソン「……」

つまり、私が彼にコンタクトを取るには、直接電話をかける以外無いことになってしまう。
まるでまだメールの無かった時代のような困惑だ。
それより以前は自宅の固定電話にかけていたと言うのだから、昔の人は頭がおかしかったんだと思う。

(゚、゚トソン「……」

というか、告白するわけでも無いのになんでこんなに悩まないといけないのか少しも納得出来ない。

42 名も無きAAのようです 2013/01/24(木) 00:36:02 ID:XjXUAsU20
(゚、゚トソン「今時分に電話をかけるのは、失礼だ」

なんて、口に出してみて決められない自らを安心させてみる。
しかし私は明日になっても結局決められないだろう。
そうして時間が消費され、いつの間にか思考の中からも消え去る。

从 ゚∀从「あの紙、どうした?」

いずれハインにそう訊ねられたら、

(゚、゚トソン「なくしました」

と、罪悪感を抱えつつ応えるだろう。私はそういう人間だ。

それに、それが一番良いような気がしてくる。
内藤氏のような人は――ましてや精神障害者認定を受けている人は――簡単にネタにするべきではない。
確かに面白い話は聴けるだろうが、それよりも申し訳なさが強く浮き出る気がする。

(゚、゚トソン「……」

ハインに相談してみようか、と思ったが、やめた。
彼女はほぼ確実に電話には出ない。メールも、たまにしか返さない。
なのに現実での外向性は無闇矢鱈と高いのだから変な話だ。

私は、少し彼女が羨ましい。

43 名も無きAAのようです 2013/01/24(木) 00:36:47 ID:XjXUAsU20
(゚、゚トソン「……」

もしかして。
Youtubeで『ブーン』と検索をしてみたら。
彼の他の動画が大量に出てきたりするのだろうか。

間違いなく出てくるのだろう。
当人は全て削除してしまったらしいが、どこかの誰かが拡散させているはずだ。
それはとても怖ろしいことだ、私だったらとても耐えられない。

だから、検索すること自体が躊躇われた。
彼の人となりを理解するには良い手段であるような気もするが、
それをしたところで第一印象に変化が生じるとも思えなかった。

何より、ハインの言った『腑抜け』という言葉が気になる。
今の内藤氏は『ブーン』であった頃とはまるで別人ということなのだろうか。
いや、それだって内藤氏自らの言なのだ。信用に値するかは疑問である。

とりあえず、今日のところは考えないでおこう。
まだ手渡された当日なのだ。もう少し時間をもらっても失礼ではないだろう。

そうやって今日もまた何も決めずに一日を終えようとしたところへ。

携帯が、震えた。

44 名も無きAAのようです 2013/01/24(木) 00:37:57 ID:XjXUAsU20
余談だが私は着信音を音楽に設定する、ということをしない。
音楽が嫌いなわけではない。むしろ好きだし、暇なときはいつも聴いている。

しかし例えば大学の講義中に着信音が響き渡れば、
それは自分の失礼さと自分の嗜好を同時に不特定多数に暴露するという、
二重の恥ずかしさに晒されることになる。そんな羽目には陥りたくない。

何より、電車などでイヤホンをつけている場合、震動の方が着信に気付きやすいのだ。

といって、私は滅多に発信する方でも無ければ着信を受けるほうでもない。
コミュニケーションの方法は大抵ショートメールの類いであり、
時々自分の持っている端末が本質的に電話であるということを忘れそうになる。

それはともかく、今、私の携帯が震えている。

私は恐る恐る画面に表示される発信元を覗き込む。
アドレス帳に登録されている番号では無い。かといって非通知でも無い。
携帯電話の番号が明確に表示されている。

知らない番号だ。いや、知らない番号ではない。
それは私がさっきまで何度も見直していた電話番号だ。

内藤氏の、電話番号だ。

45 名も無きAAのようです 2013/01/24(木) 00:38:48 ID:XjXUAsU20
何故彼が私の電話番号を知っているのか? という疑問はすぐに雲散霧消した。
どうせハインが教えたのだろうし、それ以外に有り得ない。
お節介を過ぎて、ここまでくるとプライバシー侵害のレベルだ。文句を言わないといけない。

だが、携帯は震え続ける。

携帯が発する震動音はどうしてこうも人を不安にさせるのだろう。
何だか早く電話に出ないと罰せられそうな気さえ起こる。

しかし私には躊躇いがあった。当然だ。これを手に取れば私は会話せざるを得なくなる。
動画の中で彼が最後にあげたうめき声が嫌でも想起される。

(゚、゚トソン「電話なら安全だけど……」

いつまでも震える。震え続ける。これは永遠の地獄なのではないかとさえ思えてくる。
『勝手にふるえてろ』という小説があった。読んだことは無いが、今なら共感できる。

しかし、私は。

(゚、゚トソン「……もしもし」

電話を取った。

46 名も無きAAのようです 2013/01/24(木) 00:39:28 ID:XjXUAsU20
『あー、もしもし、聞こえますかお?』

(゚、゚トソン「はい、聞こえます、聞こえます……」

『あ、違う』

(゚、゚トソン「え?」

『都村トソンさんで間違いないですかお?』

(゚、゚トソン「は」

(゚、゚トソン「はい」

『よかったおー、ハインリッヒ高岡さんに教えられて』

『もし嘘の電話番号でヤーさんとか出たらどうしようかと』

『思ってましたお』

(゚、゚トソン「……」

『……』

(゚、゚トソン「……はあ」

47 名も無きAAのようです 2013/01/24(木) 00:40:25 ID:XjXUAsU20
『あ、申し訳ないですお、こんな時間にお電話して』

(゚、゚トソン「いえいえ、全然、大丈夫ですよ」

『もうすぐ日が変わりますおー。早寝早起きが健康の基本ですお!』

(゚、゚トソン「……」

(゚、゚トソン「は、はい」

『えーっと』

『あ、僕は内藤ホライゾンっていいますお』

『よろしくおねがいしますお』

(゚、゚トソン「え、はい。よろしく……おねがいします」

『あー』

『もしかして、ハインさんにはブーンって教えてもらってますかお?』

(゚、゚トソン「えっ」

(゚、゚トソン「いやー……」

(゚、゚トソン「そう、ですね。両方で……」

48 名も無きAAのようです 2013/01/24(木) 00:41:19 ID:XjXUAsU20
『ですかおー。あ、どちらで呼んでもらってもかまわないですお』

(゚、゚トソン「……はい」

『あー、というか』

『申し訳ないですお、いきなりお電話で……』

(゚、゚トソン「いえ、いえ」

『メールにしようかとも考えたんですが、文字打つの苦手なんですお』

(゚、゚トソン「はい」

『あー、それに、ちょっと、時間にも追われてるんですお』

(゚、゚トソン「は、そう、ですか」

『なんですお』

『というわけで』

『どこにしますかお?』

(゚、゚トソン「……」

(゚、゚トソン「はい?」

49 名も無きAAのようです 2013/01/24(木) 00:42:01 ID:XjXUAsU20
『そうだ、S駅の高架下に喫茶店があるんですお』

『確か……そう、浪漫S区っていう』

『知ってますかお?』

(゚、゚トソン「や、知ってます」

(゚、゚トソン「け、ど」

『じゃー、そこにしましょうお』

『今度の土曜日は空いてますかお?』

(゚、゚トソン「あ、はい、いや、ちょっと」

『じゃー二時にそこでお待ちしていますお』

(゚、゚トソン「あ、いや、ま、まって」

(゚、゚トソン「ください」

『なんですかお?』

50 名も無きAAのようです 2013/01/24(木) 00:42:41 ID:XjXUAsU20
(゚、゚トソン「あの……」

(゚、゚トソン「いや、何から言っていいものか」

(゚、゚トソン「その、ハインには、何と聞かされてるんです?」

『ハインさんですかお?』

(゚、゚トソン「は、はい」

『えーと、僕に話を直接聞きたいという人がいるから』

『会ってあげてほしい、という風に』

『かいつまんで言うと、そんな風に聞かされてますお』

(゚、゚トソン「……ですか」

(゚、゚トソン「そう、ですか」

『ま、間違ってますかお?』

(゚、゚トソン「や、間違ってはいないです」

(゚、゚トソン「……けど」

51 名も無きAAのようです 2013/01/24(木) 00:43:48 ID:XjXUAsU20
『それじゃあ、申し訳ないけど、時間がないので、この辺で……』

(゚、゚トソン「は、はい」

(゚、゚トソン「いや、えっと」

『楽しみにしてますおー』

(゚、゚トソン「は、や、ちょ」

(゚、゚トソン「ちょっと、ま」

私の鼓膜に無情な終話の音が鳴り響いた。
携帯を置く。しばらく現実認識が出来ずにぼんやりとする。
立ち上がって室内を歩き回る。そして、私は一つの結論に達した。

私は、次の土曜日に、内藤氏と会う約束を、した。

(゚、゚トソン「なんでだろう」

心の底から出た疑問だった。
内藤氏の勢いに気圧されたということもある。しかし断ろうとして出来なかったわけでは無い筈だ。

では、何故か。

もしかしたら、携帯の向こうから聞こえてきた彼の声が、
私の想像している以上に柔和で穏やかなものであったからかもしれない。

52 名も無きAAのようです 2013/01/24(木) 00:45:36 ID:XjXUAsU20
つまり彼は私がわざわざ下げてしまっていたハードルを易々と越えたのだ。
だから私は、予想とは真逆の意味で頭が真っ白になった。何も考えられない木偶の坊のようだった。

電話での内藤氏は動画での面影などどこにもなく、むしろ至って正常人だった。
いや、正常人というのも違うかも知れない。
どちらかというとハインと同じような積極性を感じる。

私はそういった積極的な人物が嫌いでは無い。
特に、自分では決められないような問題に直面した際、そういった人は心強い助言者となってくれる。
だから私はハインが好きだし、そう言う人には一緒にいて欲しいと願っている。

ただ、この場合は、一体どうしたものだろうか。

相手が異性であるとか、そういった問題はこの際重要ではない。
重要なのは見知らぬ人に自分のスケジュールを勢いで決められてしまったということだ。
土曜日が暇なのは本当の話だ。だが、だからといって勝手に埋められて然るべき曜日でもない。

これで、いいのだろうか。

実際、ほんの少しだけ期待していたりもするのだ。
確かに内藤氏は既に色々な意味で予想を大きく裏切ってくれている。
これが実際に会ったりすれば違うものを私に与えてくれるかも知れない。

それでも不安の方が大きく上回る。
当たり前だろう。ちょっと出来すぎた話でもある。
ハインの人選はある程度信用できるが、それが『変人』に通用するとも限らない。

53 名も無きAAのようです 2013/01/24(木) 00:48:37 ID:XjXUAsU20
いや、今ならまだ間に合う。

ただ彼に電話をして断りを入れればいいだけの話だ。
何なら嘘をついてもかまわない。別の予定を捏造してもいいだろう。

だが、私は、多分それをしない。

他人に自分の行動を決定されるのはある意味での喜びが付きまとう。
自己決定という責務を放棄できる喜び。これは最上の消極的行動だ。
今、私の予定が内藤氏によって決められた。わざわざそれを覆す必要はあるだろうか?

そんな風に突き詰めて考える度、私はつくづく自分が嫌になる。
ああ、何て自分は、決められない人間なのだろう、と。

しかし、純粋な好奇心として内藤氏の穏やかさの原因を知りたいのも事実だ。
ネタになるかどうかはともかくとして、彼の人間性は興味深く感じられる。

なるほど、これが所謂、「趣味は人間観察です」というやつかもしれない。
そんな、何の利益にもならない発見が、今日唯一の収穫と言えるだろう。

彼は、内藤ホライゾン。
私は、彼と今週の土曜日に初めて出会う。



2.決めない 終わり




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