(゚、゚トソンフラジールのようです

164 名も無きAAのようです 2013/02/02(土) 22:22:34 ID:vVsfI4ms0
7.明けない

私は、たぶんお酒には強い方であると思う。

そもそも所属しているゼミやサークルでお酒を飲む機会があったとしても、
その性質からして飲酒を無理強いされることはないし、一貫してソフトドリンクでも勿論構わない。
周りを見ても大抵は一、二杯飲む程度の女性ばかりだし、うわばみ、というものも見たことがない。

今、目の前でくだを巻いているデレを除いては。

(゚、゚トソン「……デレ。いつもいつも、たくさんお酒を買ってきてくれるのはありがたいのですが」

ζ(゚ー゚*ζ「んー?」

デレと知り合うことが無ければ、私もさして酒飲みにはならず、
アルコールに対する耐性もつかなかっただろう。
人間関係というのは、時として食生活にすら干渉する場合があるらしい。

(゚、゚トソン「いつもいつも、言っているのですが、何故、ビールばかりなのですか」

ζ(゚ー゚*ζ「そんなことないよ……アサヒスーパードライ、サッポロ黒ラベル、サントリープレミアムモルツ……」

(゚、゚トソン「全部、ビールです」

ζ(゚ー゚*ζ「……」

ζ(゚ー゚*ζ「ハイネケン」

(゚、゚トソン「ビールです」

ζ(゚ー゚*ζ「なーぁ。そんなことないよぉ。私が本当に好きなのは琥珀エビスだから」

(゚、゚トソン「それもビールです……」

165 名も無きAAのようです 2013/02/02(土) 22:24:15 ID:vVsfI4ms0
ドアを開けるなり倒れ込むようにして私の部屋に入ってきたデレは、
両手に抱えきれない量のビール缶と酒の肴を持っていた。

デレがどんな気持ちでこれを購ったのか、また幾らかかったのか。
そしてそのお金がどこから出てきたのか、考えたくはなかった。
しかし今日のささやかな飲み会はそれを聞かされるための飲み会である。

大量のアルコールを酸素として吐き出された二酸化炭素のような愚痴は、留まるところを知らない。

おおよその粗筋はすでに聞かされてしまった後だ。
今回のデレの恋愛対象は三歳年下の、早生まれの十八歳であったらしい。
大学に入学して一年にも満たない彼に対し、デレはいつものように貢いで貢いで貢いだらしかった。

まるで行き遅れのOLが新入社員を捕まえようと必死になるかのように。

それから何だかんだあって――その何だかんだが長ったらしいのだが――彼から正式に告知されたらしい。
「俺、デレ先輩と付き合うつもりはありませんから」と。
つまり、今回の相手とはまだ付き合ってすらいなかったらしい。

ζ(゚ー゚*ζ「結局ね……思うんだ」

デレは五本目ぐらいのビールを一気に呷って、呟く。

ζ(゚ー゚*ζ「何かこう、やっぱり私は、間違ってるんじゃないのかって」

アルコールは胃である程度消化されるために水よりも多量に飲めるという話を聞いたことがある。
もし本当なら、人間は自分の身体をもう少し大事に扱うべきだ。

166 名も無きAAのようです 2013/02/02(土) 22:25:33 ID:vVsfI4ms0
デレの語り口は既にマシンガンから単発式の銃器に切り替わっている。
吹き荒れて去っていった嵐の後に残る、穏やかながらも熱を帯びた風。
何となく気持ちの遣り場に困る時間でもある。愚痴の波濤に身を任せることが出来ないからだ。

(゚、゚トソン「……間違ってるとは、思いますけど」

ζ(゚ー゚*ζ「それにしても、相変わらず片付いてる部屋だよね、トソンの家」

(゚、゚トソン「……」

(゚、゚トソン「何も無いだけですよ……」

デレはにへら、と笑って缶を転がす。
私の部屋には本当に物が少ない。衣服の類いはクローゼットにしまわれているし、
幾つかの文庫本とノートパソコン、それに些末な生活必需品を除けば、本当に何も無いのだ。

だからデレがやってきて床に好き放題に缶を散らしたりしていると、
別に嫌悪感は覚えないのだが、何とはなしに違和感がある。
普段見えていない側面を見ているような感じ。自分の部屋であることには間違いないのだが。

ζ(゚ー゚*ζ「いいよね、トソンは」

(゚、゚トソン「何がです?」

ζ(゚ー゚*ζ「んーん、別にぃ」

167 名も無きAAのようです 2013/02/02(土) 22:26:50 ID:vVsfI4ms0
ζ(゚ー゚*ζ「試験どう? ヤバいかな、私」

(゚、゚トソン「……デレはいつもそう言ってますけど、結局単位は取れてるじゃないですか」

ζ(゚ー゚*ζ「まー、大学生の口癖みたいなものだよね」

(゚、゚トソン「今期は……発達心理学だけ、気を付けていればいいんじゃないですか?
     確か、試験は記述式だったはずですから……」

ζ(゚ー゚*ζ「あー、私あのオバさん嫌い。イヤミなんだもん。
       絶対男とか出来ないタイプだよ、あれは」

(゚、゚トソン「……」

ζ(゚ー゚*ζ「……」

ζ(゚ー゚*ζ「何さ」

(゚、゚トソン「いえ……」

よくよく考えれば、学期の最後になって講義の担当教授の愚痴が話題にあがるというのもおかしな話だ。
そういう話題は最初の方に消化され、後は延々と繰り返されるのが普通であるはずなのに。

つまり、デレとは普段そのような会話をしないということなのだ。
それ以前に、彼女と『普通の話』に華を咲かせることがあるだろうか?
彼女が恋に破れたとき以外に、私は彼女と会話を弾ませるだろうか?

私たちは常日頃、それぞれ別々のグループに所属しているような気がする。
同じゼミとはいえ一枚岩ではない。数人のグループによる複合体なのだ。
付き合い自体は長いと言っても、友人関係と呼べるほどに私たちは会話しているのだろうか?

それでも、彼女は私に遠慮が無いし私も遠慮しない。そういう関係なのだ。

168 名も無きAAのようです 2013/02/02(土) 22:28:18 ID:vVsfI4ms0
納得はしつつも、やはり、どうしてもデレが失恋の際に常に私を頼る理由が今もって分からない。
彼女との『慰め会』は私たち二人きりで行われるのが鉄則であるし、
彼女は私に他人へその経緯を話さないようにと望んでいる。

単純に、私の部屋なら自由に使えるから、というのも考えられるのだが……。

ζ(゚ー゚*ζ「やっぱ勉強とかした方がいいかなぁー。全部レポートになればいいのになあ」

(゚、゚トソン「……それはそれで面倒そうですけど」

ζ(゚ー゚*ζ「えー、絶対その方が楽だって」

私は、まだ聞き出せていない。
デレが何故私を頼るのか。何故愚痴の相手を常に私に設定しているのか。
それを躊躇するのは、私がまだ心の準備を整えられていないからだろうか。

ただ、この場合の心の準備とは、一体何を意味するのだろう。

ζ(゚ー゚*ζ「あー、そうだ、思い出した」

(゚、゚トソン「はい?」

ζ(゚ー゚*ζ「履歴書! エントリーシート! 自己PR!
       見せ合おう、そしてお互いを高め合おう!」

(゚、゚トソン「デレ」

ζ(゚ー゚*ζ「なに?」

(゚、゚トソン「何故その言葉と同時にお酒の缶を開けるのですか」

ζ(゚ー゚*ζ「……」

169 名も無きAAのようです 2013/02/02(土) 22:29:53 ID:vVsfI4ms0
彼女はビール缶に押しつぶされて袋の底に沈んでいたと思われる、
しわくちゃになった履歴書を取り出して、私に突きつけた。

ζ(゚ー゚*ζ「読んで。私も、トソンの、読むから」

(゚、゚トソン「……」

私は午前中に持てあました履歴書を彼女に手渡す。
自分自身の履歴を他人に見せびらかすのは恥ずかしいものなのではないかと予想していたが、
実際に渡して彼女が読んでいる姿を眺めてもさしたる照れくささは感じない。

やはり、自分自身を書いていないからだろうか。

(゚、゚トソン「……」

私は私で、デレの履歴書に目を通す。
そこに浮かび上がっていたのは至極真っ当な女子大生のプロフィールだった。

彼女は恋愛という巨大な核を持ちながらも、それを保つためにあらゆる経験をしている。
アルバイトにせよ、ゼミにせよ、様々なコミュニケーションにせよ、
恋愛そのものを押し隠してでも彼女には履歴書に載せられるような内容が溢れているのだ。

それ自体は素直に羨ましい。誰も彼女の書き上げた履歴に疑問を抱かないだろう。
……彼女と同じ道を歩みたいかと問われれば、即座に否定するのも、事実だが。

170 名も無きAAのようです 2013/02/02(土) 22:31:49 ID:vVsfI4ms0
ζ(゚ー゚*ζ「どう? どう?」

(゚、゚トソン「良いと思いますけど……インパクトに欠けている気はします。
     何と言うか、普通……なんです。悪いことでは無いですけど、目立たないのではないかと」

ζ(゚ー゚*ζ「あー……やっぱり? 行儀良すぎるかなーとは自分でも思ったんだけどね」

ζ(゚ー゚*ζ「やっぱり茶色に戻そうかな」

(゚、゚トソン「……髪の話ではないです」

だが、確かに彼女の言うとおり、デレの黒髪はどうにも異様に見えてしまう。
生まれた時にはそういう髪色であったのだということを理解していてさえ、
デレのような人物は茶髪であるべきなのではないかと思ってしまうのだ。

(゚、゚トソン「私の履歴書は……どうでしたか?」

何気ない風を装って放った質問に、デレは随分と考え込んだ。
「んー」とか「あー」などと呻いた後に彼女は、

ζ(゚ー゚*ζ「何だか、トソンじゃないみたい」

という回答を導き出した。

173 名も無きAAのようです 2013/02/02(土) 22:33:39 ID:vVsfI4ms0
(゚、゚トソン「……」

ζ(゚ー゚*ζ「いや、何て言ったらいいかわかんないんだけどさ。
       ここに書いてあることはすごく常識的だし、それでいいと思うんだよ。
       でもそれがトソンなのかって考えると、どうなんだろってなるよね」

ζ(゚ー゚*ζ「自己PRなのに自己をPRしてない感じ?」

……デレは私の小説を読んだことがない。
出会って間もない頃、私は他の人にするのと同じように自らの趣味が物書きだと披露したのだが、
その際に彼女は悪びれる風もなく、

ζ(゚ー゚*ζ「あー、私、小説読むの苦手なんだよね」

と言った。

ζ(゚ー゚*ζ「ほら、作者の気持ちとか考えるの嫌いなんだよ。
       大体、好きな相手の気持ちも分からないのに、
       まったくの他人の気持ちなんて分かるわけないじゃん」

……当時はまだ彼女が恋愛に執心する人間であると言うことを知らなかった。
彼女の言葉には同感だった。きっと彼女には教科書以外で小説に触れる機会がなかったのだろうし、
そうであるならば小説イコール作者の気持ちを考えたり文脈を正しく捉えるもの、と見てしまうのも仕方ない。

彼女は自覚しているとおり、よく他人の気持ちを取り違える。
特に男性に対しては顕著だ。正確に読み取れないが故に、彼女はよく同じ失敗を繰り返す。
しかし時々、私は彼女がわざとそのような振る舞いをしているのではないかと思うことがある。

例えば、今のように。彼女は無意識に、的を射るのだ。

174 名も無きAAのようです 2013/02/02(土) 22:35:34 ID:vVsfI4ms0
ζ(゚ー゚*ζ「まあ、言うだけなら楽なんだけどねー。
       私も自己PRの正しいやり方なんて分からないし」

(゚、゚トソン「そう、ですね……」

無論六本目のビールを空にしかけているデレの言葉を真に受ける義理はない。
しかし彼女の言は紛れも無く弱点を突いたものであるし、そうなると些か考え直さねばならない。
企業が彼女と同じようなことを考えないとは言い切れないのだ。

ζ(゚ー゚*ζ「というか」

七本目の缶が開けられて泡を吹く。

ζ(゚ー゚*ζ「どうして小説のこと書かないの?」

(゚、゚トソン「どうしてって……」

つまるところ企業が望んでいるのは小説を書くことではなく、
人と洒脱な会話を繰り広げたりリーダーシップを発揮したことなのであり、
そういった経験とは縁遠い私の履歴書が薄っぺらになってしまうのは仕方ないのかもしれない。

しかし私は、これからそういった履歴書を欲するような社会に進出するのだ。
と言って、私にとって小説とはデレにとっての恋愛ほどの核なのだろうか。

『何故小説を書くのか……』。
その問いの答えは、小説が私の中でどれほどの存在感を放っているかによって変わるのではないか。

175 名も無きAAのようです 2013/02/02(土) 22:36:42 ID:vVsfI4ms0
(゚、゚トソン「いいですね、デレは……」

ζ(゚ー゚*ζ「なにがー?」

(゚、゚トソン「いえ……でも例えば、デレだって履歴書に恋愛経験は書かないでしょう?」

ζ(゚ー゚*ζ「……」

ζ(゚ー゚*ζ「あはー。そりゃそっかー。そだよねえ」

意識が混濁し始めたのか、デレは床に転がってまるで猫のように身体をよじらせる。
それを見ながら、私のお酒は今何本目だろうか、と考える。
デレよりは少ない気がする。が、それでも結構な酒量であることは間違いない。

昼間に感じた昂揚は、もうどこかに消えてしまっている。
あれはいったい何だったのだろう。生存に対する確信、それでいて、私が私ではないような錯覚……。
答えなど得られず、延々と自分を誤魔化し続けられるのなら、それはそれで構わないのだが。

ζ(゚ー゚*ζ「あー、どうしよっかな、次」

(゚、゚トソン「次?」

ζ(゚ー゚*ζ「私ぐらいになるとね、わかるんだよ。自分が次に誰を、好きになるか」

176 名も無きAAのようです 2013/02/02(土) 22:38:48 ID:vVsfI4ms0
(゚、゚トソン「……また、同じことを繰り返すんですか」

ζ(゚ー゚*ζ「そっかもね。いや、もしかしたら今度こそ……みたいな」

ζ(゚ー゚*ζ「無いかなー」

くぁ、と欠伸するデレを見てつくづく思う。
彼女は、失敗を引きずらないのだろうか。すぐに次へ切り替えられるのは何故だろう。
この『慰め会』はそんなにも彼女のストレスを発散できているのだろうか。

(゚、゚トソン「……いいですね、デレは」

ζ(゚ー゚*ζ「二回目だよ、トソン」

(゚、゚トソン「デレは、いつも、そうやって恋愛に対して前向きでいられますよね。
     私は、そういうのに興味が無いですから……わからないのですが。
     でもそれって、凄く、エネルギーの必要なことだと思うのです」

(゚、゚トソン「それを続けられるって、単純に、すごいなって……」

彼女はこれからも誰かを恋い慕い続けるのだろうか。
社会に出てどこかの企業で働きながら、失敗のための失敗を繰り返すのか。
それとも、たった一度の大当たりに賭けているのだろうか。

ζ(゚ー゚*ζ「んー」

彼女は口角を吊り上げてまるで作り笑いのような表情をした。

ζ(゚ー゚*ζ「トソンはねえ、根本的な、勘違いをしてると思うなあ」

177 名も無きAAのようです 2013/02/02(土) 22:40:59 ID:vVsfI4ms0
(゚、゚トソン「勘違い……ですか」

ζ(゚ー゚*ζ「そだよ。それじゃまるで、私が恋愛したくて恋愛してるみたいじゃん」

(゚、゚トソン「……違うんですか?」

ζ(゚ー゚*ζ「違う違う。だってしんどいじゃん。消えていくお金を稼ぐのって。
       脈の無い相手に恋心を持ち続けたりさ。それだけじゃないよ、
       噂なんて勝手に広がるもんだから、周りの女の子にも変に思われてるし」

ζ(゚ー゚*ζ「表面上の付き合いとかフェイスブックだと親しく見えるけど、
       実際はそこまで深く関わりあえない。あの感じだよ、分かるでしょ?」

(゚、゚トソン「ええ……」

ζ(゚ー゚*ζ「私はね、恋愛したくてしてるわけじゃないの。
       恋愛するしか能が無いから恋愛するんだよ。恋愛脳なめんな、ですわ」

アルコールに浸されているはずのデレの言葉が、何故か刺々しく聞こえる。
もしかしたら、デレは、ほんの少し、怒っているのかもしれない。

ζ(゚ー゚*ζ「人にはそれぞれ能力みたいなのがあってさ。
       それに、しがみ付いていないと生きていけない人もいるんだよ。
       私は、そういう人なんだと思う。その能力が高いかどうかはともかく、ね」

179 名も無きAAのようです 2013/02/02(土) 22:42:31 ID:vVsfI4ms0
また『能力』という言葉が出てきた。しかも全く因果関係の無い場所から。
しかし彼女の言い分は内藤氏と似通っているような気もする。
彼女も彼も、結局は自分が持ちえていた能力を使わざるを得ないのだ。

ζ(゚ー゚*ζ「私のこの才能はさ、中学ぐらいからずっとでね、自分でも変だとは思ってたんだ」

ζ(゚ー゚*ζ「だから心理学科に進めば、自分のその変な感じが分かるのかなって」

ζ(゚ー゚*ζ「でも、今のところ何にも分かってないよね。むしろバイト出来るようになって酷くなってる」

ζ(゚ー゚*ζ「あー、そういえば、遺伝とか、家庭環境がどうって話も聞いたことあるなあ」

ζ(゚ー゚*ζ「私の家は……とっくに父さんと母さんが離婚してて、母さんは再婚しててね」

ζ(゚ー゚*ζ「でも別にそれぐらいかな……。ああ、父さんは、もう死んじゃったって」

ζ(゚ー゚*ζ「……そういうのってやっぱり関係したりしてるのかな?」

ζ(゚ー゚*ζ「ああ、母さんの再婚相手、今の人で三人目だけど、そういうのも……なぁー」

ζ(゚ー゚*ζ「自分の人格を親のせいにするのは二十歳までにしろ、とかいうけど」

ζ(゚ー゚*ζ「実際、二十歳の私と二十一歳の私に何の違いがあるんだろう。そういうのって、流れ、だよねえ」

ζ(゚ー゚*ζ「私、おかしいのかな」

180 名も無きAAのようです 2013/02/02(土) 22:44:23 ID:vVsfI4ms0
お酒のせいか、デレの独白のせいか、私はやや苦しげに息を吐いた。

例えば彼女の『能力』を遺伝のせいにしたとして、それを彼女にどう告げれば良いのか。
DNAに対する悪口が何の役に立つと言うのだろう。ならば、彼女自身が変わるしかあるまい。
しかし変化や成長というものは、口にするほど、或いは物語に仕立てられるほど単純なものなのか。

(゚、゚トソン「……私にはデレの気持ちがよく分かりません。
     それでも、その考え方は、常識と照らし合わせておかしいのではないかと思います」

ζ(゚ー゚*ζ「うん、おかしいよね、絶対」

(゚、゚トソン「ただ……決して、マイナーなおかしさではないとも思うんです。
     恋愛を生き甲斐にしている人は、決して珍しくはないでしょう」

私は訊くべきことを訊くことにした。そのタイミングが、訪れたと思った。

(゚、゚トソン「私よりもデレのことを理解できる人はいると思うんです。
     デレのことを、その、より良い方向に導いてくれる人も……きっと、いるはずです。
     だからこの『慰め会』は……そういう人と、行うべきなのではないかと、思うのですが」

デレはふと起き上がって座り込むと、じっと私を見つめた。

ζ(゚ー゚*ζ「……んー」

(゚、゚トソン「なんですか」

ζ(゚ー゚*ζ「ふふ、やだよ。トソン怒るもん」

(゚、゚トソン「……どういう、意味です?」

181 名も無きAAのようです 2013/02/02(土) 22:45:47 ID:vVsfI4ms0
ζ(゚ー゚*ζ「あのねー、それには二つ、理由があってねー」

ζ(゚ー゚*ζ「一つはねー、もう、色んな意味で手遅れだよ。さっき言ったじゃん。周りにも知られてるって。
       今更新しい友達を作っても、その人にもすぐ誰かが私のこと教えるだろうし、
       ある程度以上には仲良くなれないよ。なれたとしても、何だか蔑まれてるようで、やだな」

ζ(゚ー゚*ζ「もう一つはねー、これは本当に、トソンと一緒にいてよかったと思えることなんだけどねー」

ζ(゚ー゚*ζ「トソンといるとさ、私の、こんな能力が、まるで才能であるかのように思えてくるんだよね。
       何ていうか、全能感? みたいなやつなのかなあ。
       ああ、私まだ、こんな感じで大丈夫なんだなあって」

デレの猫撫で声を噛み砕くのには少し時間がかかった。
そしてようやく発見した解釈も、正答である自信はまるでなかった。

つまり私は、彼女に、恋愛によって生きると言うある意味で自転車操業のような生き方を許しているのだろうか。
本来ならば怒られて然るべき、或いは止められて然るべき生き方をただただ継続させているのだろうか。
彼女がその『能力』を糧にして生きているという事実をあるがままに受け止めていたのだろうか。

(゚、゚トソン「私は、断罪から逃れていたと言うことですか」

ζ(゚ー゚*ζ「……そういう、難しい言葉は分からないけどね」

182 名も無きAAのようです 2013/02/02(土) 22:47:56 ID:vVsfI4ms0
ζ(゚ー゚*ζ「私がお母さんを嫌いになれない理由はね、たぶんそういうところにあると思うんだ」

ζ(゚ー゚*ζ「私、何回か言ったことあるんだよ。自分の恋愛体質? みたいなやつのこと」

ζ(゚ー゚*ζ「そしたら毎回同じこと言われるんだ。
       デレももう大人なんだから、自分のことは自分で考えなさいって」

ζ(゚ー゚*ζ「それを聴くたびに思うんだよね。この人、めんどくさいだけなんじゃないかなって」

ζ(゚ー゚*ζ「一応娘である私がこれだけ失敗してるのに、
       何もしないのは、自分のことのほうが楽しくて、それだけで手一杯だからじゃないかなって」

ζ(゚ー゚*ζ「トソンは、それに似てるのかもしれない。もちろん、お母さんより私のことを考えてくれてるよ」

ζ(゚ー゚*ζ「でもね、お母さんと一緒で、私や周りを変えようとは、しないんだ」

ζ(゚ー゚*ζ「私だって変わりたくないしね。そういうところが、好きなんじゃないかなあ……」

確かに私はデレの経験には否定をするものの、彼女の人格自体を貶すことはない。
だが、決して私はデレの行動を容認していない、はずだ。
しかし彼女が私に求めているのは現状を受け入れてもらえる安寧なのだという。

そして私は、デレの望み通りに彼女を変えないでいるのだという。

ζ(゚ー゚*ζ「今はね、私はまだ、今のままで、変なままで、いいと思ってるんだ」

ζ(゚ー゚*ζ「いずれ、年齢的に無理が利かなくなるだろうけど……その時にはどうせ、勝手に変わってるだろうし」

183 名も無きAAのようです 2013/02/02(土) 22:49:19 ID:vVsfI4ms0
恐らく、随分と年をとるまで、私たちは恋愛に年齢は関係ないと断言できるだろう。
流石に老人にもなってしまえば夢は叶わなくなるだろうが、それまでの間、
私たちは十分に、やりたいように、恋を謳歌することができるのかもしれない。

実際、デレの母親が三度も再婚しているのと同じように。

それでいいのだとデレは言う。当人が言うのだから横槍を入れる意味も無い。
しかしネガティヴな私は、どちらかというと悪い未来を想像してしまう。
彼女がいずれ精神的に完膚なきまでに打ちのめされ、捨てられてしまう姿を、描いてしまう。

それでも、それでいいのだと、今のデレは言うだろう。

結果的に、私が抱いている彼女への想いは、表現しなくてよいものだったのだ。
彼女の生き方や、考え方や、そういった人生に根差しているものを変えようとする想いは、
彼女自身にとってはどちらかというと邪魔で、目にするのも嫌な代物であったのだ。

(゚、゚トソン「……そう、ですね」

私は空気のような肯定の言葉を漂わせる。
彼女は変わろうとしない。だから変わらないし、それ以前に恐らく、変われない。
それでも変わらざるを得ないというなら、彼女は変わる努力ぐらいはするだろう。

だからそれまでは、現状を維持したいという、ただそれだけのこと。

ζ(゚ー゚*ζ「まあ、つまり、それだけトソンと一緒にいるのが楽しいってことだよ」

(゚、゚トソン「デレ」

(゚、゚トソン「お酒くさいです」

いつの間にか至近距離に迫っていたデレに私は言う。

184 名も無きAAのようです 2013/02/02(土) 22:50:39 ID:vVsfI4ms0
ζ(゚ー゚*ζ「まー、失礼な」

デレは機械的な動きで立ち上がるとツカツカとベッドに歩み寄ってそのまま飛び込んだ。

ζ(゚ー゚*ζ「私、今日、ここで、寝るから!」

(゚、゚トソン「……明日、用事はないんですか?」

ζ(゚ー゚*ζ「ある! けど、ない!」

布団に潜り込み始めるデレを眺めながら私は新しいビールの缶を開ける。
別に私にも用事はない。あるとすればエントリーシートの記入ぐらいだ。
だから、割とどうでもいい。この夜を穏やかに過ごすほうが余程大事だ。

ζ(゚ー゚*ζ「私、タバコ、吸おうかなあ」

(゚、゚トソン「……やめておいたほうがいいですよ。におい、嫌う男性も多いですから」

ζ(゚ー゚*ζ「だよねえ……」

185 名も無きAAのようです 2013/02/02(土) 22:52:09 ID:vVsfI4ms0
私は、私のことを考え始める。
デレの人生に干渉したいと思っていた自分は、彼女自身によって否定されたことになる。
それ自体はどうしようもあるまい。私は彼女に無理強いできる立場ではないし、何よりそうする勇気が無い。

ζ(゚ー゚*ζ「……タトゥーとか、彫るかな」

(゚、゚トソン「……どんな、ですか?」

ζ(゚ー゚*ζ「恋人の、名前とか……」

(゚、゚トソン「無いですね」

ζ(゚ー゚*ζ「無いよね……」

しかし、私はそれで納得しているのだろうか。
彼女を変えない、変えられないことによって何か取り返しのつかない磨耗を覚えているのではないか。
自己中心的でしかないその想いは、どうしてこんなにも私の中で膨らんでいたのだろう。

ζ(゚ー゚*ζ「パチンコだけはしたくないんだ」

(゚、゚トソン「どうしてですか?」

ζ(゚ー゚*ζ「昔バイトしてたんだけど、音で死にそうになったから」

(゚、゚トソン「ああ……すごいらしいですね」

ζ(゚ー゚*ζ「うん。時給が高いってことはそれだけ何か理由があるってことなんだよね……」

(゚、゚トソン「……」

ζ(゚ー゚*ζ「でも、好きな男、多いからね……」

186 名も無きAAのようです 2013/02/02(土) 22:53:55 ID:vVsfI4ms0
胸の中で疼く、奇妙な違和感。
デレという他人を相手にしているというよりは、自分自身に失望しているような、感覚。
私にとってデレという存在は、友達以外の何かだったのだろうか。

ζ(゚ー゚*ζ「麻薬なんてどうだろ……」

(゚、゚トソン「高いらしいですよ……」

ζ(゚ー゚*ζ「本当に幻覚とか見えるのかなあ……どんな感じなんだろう……」

もしかしたらそれは、デレ一人だけに抱く感覚ではないのかもしれない。
私は心の中で、他人の一部分を切り取って、アルバムを作っているのではないだろうか。
無数のアルバムが脳内に格納されていて、私は日々その出来栄えを注視しているのだ。

特にデレやハインといった人物のアルバムは、緻密に作り上げようとする。
友人だから? 親友だから? 放っておくことが出来ない存在だから?
そうした他人を優先する心持ちは果たして正しいのだろうか?

私は、彼女たちのことを一割すらも理解していないだろうに。

188 名も無きAAのようです 2013/02/02(土) 22:55:13 ID:vVsfI4ms0
ζ(゚ー゚*ζ「整形しようかな……面倒なんだよね、アイプチ……」

(゚、゚トソン「……さっきから、いったい何の話をしてるんですか?」

私は、私の中を他人で満たすことに快楽を覚えているのかもしれない。
それはまるで透明なガラス瓶にとくとくと色のついた水を注ぎ込むような。
私の口にする忠告は他の誰でもなく、私自身に向けられた忠告、なのだろうか。

ζ(゚ー゚*ζ「結構安く出来るらしいよ……手間もかからないし」

(゚、゚トソン「……そう、ですか」

ζ(゚ー゚*ζ「……ふふ、そう言えば、さっき怒らなかったね」

私の自尊心は他人に文句をつけることによって充たされるようなものなのだろうか。
いや、自尊心とはそういうものなのだろう。人間関係において、自分を認めてもらったり、
或いは自分を論われることによって、ようやく得られる感情なのだ。

私は小説を書く。そしてそれが褒められれば嬉しいし、貶されるにしても、
相手がしっかりと読んでいることが分かれば、それはそれで充足できる。
だから、私は自尊心というものについて人一倍理解していて、なおかつ敏感なはずだ。

にも関わらず、この悪寒にも似た不快感は何なのだろうか。

(゚、゚トソン「……デレ」

ζ(゚ー゚*ζ「私、テロリストになろうかなあ……」

(゚、゚トソン「貴方は、本当に、変わりたくないと思っているのですか?」

明確に自分に突き刺さったその問いに、答えは返ってこなかった。

彼女は、デレ。
彼女と過ごす夜が、明けないような不安を覚える。



7.明けない 終わり




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