(゚、゚トソンフラジールのようです

90 名も無きAAのようです 2013/01/27(日) 21:46:15 ID:8BdQ//ls0
4.書かない

内藤氏と出会った翌日――冷雨の降り注ぐ、洗濯物の乾かない日曜日。
今週で通常の講義は終わり、試験期間に突入する。
といって、大抵は講義に出てさえいれば単位の取れるレベルの試験だから懸念することはない。

それが終われば長い長い春休みである。
最早二十歳も超えた大人が小学生より長い休みを取るのはいかがなものだろうか。
そう思いながらも、過去二回訪れた春休みはアルバイトと小説と多少の友達付き合いで塗りつぶした。

しかし、今年ばかりはそうもいかない。
既にして随分と存在感を発揮している就職活動が、最盛期を迎えるのだ。
噂によればほとんど毎日のようにどこかの企業の説明会へ赴くことになるそうだ。

そして、そうしなければ職にありつくことができない。

故に私は苦心している。説明会以前に就職活動は開始されているのだ。
インターネットを利用してエントリーや説明会を予約する際にも、何がしかの問答を求められることが多い。
ネット上でならまだ気楽だ。キーボードを叩くのは慣れているし誤字におびえる心配もない。

だからこそ、私は恐る恐るシャープペンシルで下書きをしているのである。

そう、つまり、私は今、履歴書を書いている。

91 名も無きAAのようです 2013/01/27(日) 21:47:40 ID:8BdQ//ls0
用意されているのはA4サイズの空白。大学指定の履歴書だ。
これが大学によってはA3――つまりA4の二倍――の場合もあるというのだから恐ろしい。

ありがた迷惑というやつだ。今のご時勢数十枚の履歴書を書くのが普通であり、
その度にA3の用紙を手書きで埋めていかなければならないなんて、私なら軽く発狂するだろう。
とはいえ、A4の用紙を完璧に書ききるというのも、それはそれで厄介な試練だ。

与えられた問題は大きく分けて四つだ。
まず自分がこれまでに歩んできた経歴。そして自分が大学で学んでいることについて。
それから大学生活で打ち込んできたこと、最後に自分の特徴……つまり、自己PR。

前者二つは何とかなりそうだ。学歴は隠さず自分の歩んできた道のりを記せばいいし、
大学で学んでいることについてはゼミや卒論について書けば埋まる程度の空白である。

問題は、後者の二つ。大学で打ち込んできたことと、自己PR。

そもそもこの二つの違いとは何だろう。自分に何らかの特徴があるから何かに打ち込めるのであって、
どちらが欠けていても成立しない文章なのではないだろうか。
打ち込んできたことと学業について、は同じでは駄目なのだろうか。

「履歴書は、貴方をアピールするための重要な書類です。第一関門なのです」

大学のキャリアセンターが主催する就活対策講座のようなもので、壇上の男性が言っていた。

「これが貴方を最初に表現する場なのです。第一印象は出来るだけよくしなければなりません。
 何故なら、それはこれからその企業と付き合っていくための、基礎となる書類なのです」

そんなこと言われても、と回想しながら思う。

92 名も無きAAのようです 2013/01/27(日) 21:50:02 ID:8BdQ//ls0
趣味のおかげもあって、私は一般的な大学生よりも多くの文章を書いてきたと思う。
だからちょっとだけ声を大にして言いたい。文章で自分を表現するなんて、到底不可能だ。

小説を書くとき、たとえそれがどんなに幻想的な作品であっても、
ところどころに実体験をちりばめなければならない時がある。
作品の現実性を際立たせるため、或いは作品の幻想性を逆側から引き立たせるための小手先の技術だ。

いわゆる、リアリティ、と呼ばれる類の。

しかしながらそこで描かれる実体験は、実体験でありながらもどこかに虚飾が施されている。
その小説にある物語に沿うような形で、常に現実は歪められていく。
字数制限や尺の配分、などといった理由を言い訳にして、現実は本物の現実ではなくなるのだ。

ここにある、数行の空白に、現実など記せるものか。

自分が真面目に考えすぎていることはわかっている。
どのような大学生であれ、自分を等身大に見せようとせず、出来る限り誇張しようと努力するだろう。
誰かが言っていた。零を一にするのは駄目だ、しかし一を百にするのはかまわない、と。

大学で打ち込んできたものなど、私には何もない。
唯一あるとすれば小説なのだが、
それをいくら豊かに書き上げたところで誰にも興味を持たれないことはわかっている。

とすると、アルバイトだろうか。
本屋のレジでぼんやりと突っ立っているだけのアルバイト。
あの過去を多少のフィクションを交えて、ある程度見れる過去に仕立てることは不可能ではない気がする。

93 名も無きAAのようです 2013/01/27(日) 21:50:59 ID:8BdQ//ls0
それで、いいのだろうか。
その行為は老夫婦との過去を改竄する、とまでは言わないにせよ、
自分自身の体験をほんの少し捻じ曲げてしまっているような気がして、些か気分が悪い。

小説ではなく、自分自身を表現する方法として、果たしてそれは適正なのだろうか。

とはいえ単純な話、そうでもしなければ私がこの履歴書を書き上げることは永遠に不可能だ。
今更何を頑張るわけにもいかない。新たな何かを興味を持つのも無理がある。
かといって真っ正直に自分自身を紹介したところで、書類選考をクリアすることは出来ないだろう。

そもそも、企業は数多の履歴書の全てに目を通しているのだろうか?

そう問いかければ企業側は無論イエスと答えるだろうし、私たちはそれを信じざるを得ない。
そして実態など知りようがないのだ。企業によっては数百枚、数千枚と送られる履歴書を、
誰も見ていないところでシュレッダーにかけていたところで、私たちに糾弾は許されない。

世の中には暗黙のルールと呼ばれる規則が無数に存在しているらしい。
例えば、『全ての就活生には平等に応募する権利があると思わせる』というのも含まれているだろう。
実際には学歴や男女の別などで篩いにかけられているにしても、だ。

(゚、゚トソン「……」

まただ。私は相変わらず考えをこじらせている。
私の学歴は大抵の企業において足きりされない程度のものであろう。その点を心配しても仕方がない。
男女の別ともなれば、これはもうどうしようもない。今更生まれる前に立ち返るわけにもいかないのだ。

それでも湧き上がるこの違和感は、いったい何なのだろうか。
誰もが無視しているであろう違和感の正体に、私は深く立ち入るべきではないのだろうか。

94 名も無きAAのようです 2013/01/27(日) 21:51:57 ID:8BdQ//ls0
考えている暇があるなら手を動かそう。
だが、手を動かすためには自己PRを考えなければならない。
何というシンプルな構造の矛盾。どうやら私のPRはオートメーションにならないらしい。

大学生活で打ち込んだこと、はアルバイトで妥協しておくことにする。
文面はあとでパソコンのメモ帳にでも書き起こすことにして、
とりあえず決められたということは一歩前進したことなのだと、自分を祝う。

さて、自己PR。

私は、斯々然々な人間であり、それというのも私はこのような体験を、云々。
はて、自分とはいったい何だったのだろう、などと在り来たりな禅問答をやってみる。
都村トソン、二十一歳、乙女座、A型、女、大学生……割と、それだけで片付けられてしまう存在。

例えば自分の目の前に何の変哲もない、凡庸な鉛筆が転がってきて、
「今からその鉛筆を宣伝してください」と言われたら私はどうするだろう。
でっち上げることはあまり難しくないかもしれない。書き味が、折れにくさが、値段が、持ち心地が、など。

しかし、本質的な問題として、私は鉛筆を宣伝するという行為に意味を感じないのだ。
都村トソンという一介の大学生が履歴書を空欄を埋めるに足りる資格を有しているとは、思えないのだ。

(゚、゚トソン「……」

ちょっと笑う。
やっぱり私は何もしないでいる理由を掘り出すのが得意で得意で仕方ないようだ。

そう言えば、本屋でアルバイトを始めるときも私は履歴書を書いたのだった。
あの時持ち込んだのはコンビニで売っている簡易な履歴書で、だから書くのにも苦労しなかった。

結果的に言えば、店主のお爺さんに「履歴書なぞ要らん」といって突き返されてしまった。

「あんたがどういう人物なのかは、まあ、大体見ればわかる」

そして採用された。
採用されたからよかったようなものの、そのまま帰されていれば愚痴のひとつでも言いたくなっただろう。

95 名も無きAAのようです 2013/01/27(日) 21:53:01 ID:8BdQ//ls0
しとしとと降り続ける窓外の冷雨を眺めて。
Youtubeにアクセスして好きなバンドのプロモーションビデオを見て。
溜息をついて。伸びをして。手遊びなんかもして。シャープペンシルで机を叩いて。

まだ、焦る時間ではない、と自分自身に言い聞かせる。
来週の土曜日に行われるセミナーで履歴書を求められるそうだが、
それにしてもまだ六日間の猶予がある。こういうものは複製すればいいのだから一度出来ればあとは楽だ。

最悪の場合、ネット上に転がっている文例を少し改造して転用すればいい。
私が私である以上、最大限のパフォーマンスを発揮するなど無理なのだから。

最低だ、と私は私に思う。しかしどことなく自分への悪罵を抑制してしまっているような気もする。
私だけが悪いとは思えないのだ。何故だろう。自虐は得意なはずなのに。

その時、携帯電話が盛大な震動音を鳴らした。
咄嗟に思い浮かんだのは内藤氏だった。
昨日の今日で彼に私への用事があるとは思えなかったが、私には彼への用事があった。

単純に、コーヒーのお釣りを返し忘れていたのである。
Mサイズのホットコーヒーのお釣り、二百円。それを今週末には返さなければならない。
まさかそのためだけに電話をかけてくるはずもないとは思ったが、もしそうであれば話が早いとも考えられる。

しかし、表示されているのは別の……私の携帯に登録されている番号だった。

96 名も無きAAのようです 2013/01/27(日) 21:53:49 ID:8BdQ//ls0
(゚、゚トソン「……もしもし」

『……デレでございます』

(゚、゚トソン「分かってますよ」

デレ――大学で同じ心理学のゼミに所属している友人の一人。
背が低めで、パーマをあてた茶色い髪が特徴の、ごく普通に見える女の子だ。

彼女はよくメールをしてくるが、直接電話をかけてくることは稀である。
そして電話をかけてくる場面は、決まりきっている。

それでも一応、訊いてみることにする。

(゚、゚トソン「どうしたんですか、何か用事でも?」

『いやー、あのさ、今度の土曜日なんだけど、空いてないかな』

(゚、゚トソン「……今度の土曜日は就活セミナーの日じゃないですか」

『そう、そうなんだよ。だからその後っていうかさ、夜に』

『お邪魔したいなーなんて、思って』

97 名も無きAAのようです 2013/01/27(日) 21:54:59 ID:8BdQ//ls0
(゚、゚トソン「……デレ」

『ほら、よく言うじゃん。エントリーシートとか履歴書とかって』

『よく言うっていうか、よく聞くじゃん、先輩とかに』

『そういうのは、互いに見せ合って評価すると良いって』

『だからさ、私たちもそういうことする時期なんじゃないかなって!』

『試験前で、ドタバタはしてるけど、就活も見過ごせないなって!』

『どう? この超圧倒的ド正論』

(゚、゚トソン「デレ」

『……』

『……何ですか』

(゚、゚トソン「言わなくても分かってるでしょう」

『……』

(゚、゚トソン「……」

『……』

『ごめんなさい! またフられました!』

98 名も無きAAのようです 2013/01/27(日) 21:56:12 ID:8BdQ//ls0
デレは、客観的に見ても十分可愛い部類に入る女の子だ。
多少は化粧が功を奏しているにしても、私は素顔も可愛らしいと推測している。
そんな彼女だが、今のところ恋が成就したと言える状況には一度もなっていない。

デレと出会ったのは入学式の直後だ。心理学科だけが集められたオリエンテーションの場で、
たまたま席が隣同士だったのを契機に私たちは友達になった。
だから付き合いはもうすぐ三年になる。

その間に、デレは両手を合わせても数え切れないほどの片想いをし、
そのほぼ全てで見事なまでに玉砕した。
たまに成功することがあっても、一ヶ月と経たずに破綻する。デレは常にフられる側だ。

何故か。
デレが、途轍もなく、『重い』からだ。

とにかくデレは男に尽くす。
尽くして尽くして、男が求めていないぐらいの愛情でもって相手を押し潰す。
最早その重量級っぷりは大学の一部では定説として扱われており、デレに近づく男は殆どいない。

普段のデレ――例えば私と話しているときのデレ――はそんな素振りを全く見せない。
私もデレ自身から恋愛体験談を聞くまでは真実だとは信じられなかった。
それが、相手を恋人と認識した瞬間、或いは相手から恋人と認識された瞬間から豹変する。

99 名も無きAAのようです 2013/01/27(日) 21:56:58 ID:8BdQ//ls0
彼女は捧げる。金銭や恋文や自分の身体にいたるまで、あらゆるものを捧げる。
去年の夏、彼女は過労で倒れて一週間ばかり入院したことがあった。

その理由は非常にばかげていた。
当時好きだった男が天文部に所属していたため、その男に最高級の天体望遠鏡をプレゼントしようと、
アルバイトを三つ、四つと掛け持ちしていたのだ。

その男には見事にフられた。あまつさえ稼いだお金もすぐに消えてなくなった。
直後に好きになった男に貢いだためだ。その男とは約二ヶ月、殆ど主従関係のような形で結ばれていたが、
結局彼女が求めるような恋人同士にはなれなかった。男が、金や身体よりも彼女からの解放を望んだのだ。

私が知る限り、借金などの不道徳な手段に走っていないだけまだマシと言える。
しかしながらいずれそういった方法をとらないとも限らないし、既に秘密裏に遂行しているかもしれない。

そう考えると、私は彼女を止めなければならないと思う。
実際に何度か彼女と話をしたのだが効果はなかった。要は私には説得力がないのだ。
恋愛のひとつもまともにしていない、私には。

『……おーい、トソン、聞いてるー?』

(゚、゚トソン「……ああ、はい。聞いてます」

(゚、゚トソン「夜なら大丈夫ですよ。空いてます……」

『ん、分かった。酒持って行くから!』

『この切ない乙女心と共に何もかもを持っていくから!』

100 名も無きAAのようです 2013/01/27(日) 21:57:54 ID:8BdQ//ls0
通話の切断された携帯を耳にあてたまま私はしばらく考える。
デレは相談相手を間違えているのではないだろうか。
そういうのは乙女心を持っている人間、または一度でも持ったことのある人間の方が適当なのではないか。

何故、私なのだろう。
土曜日、デレに会ったら訊いてみようか。

恋愛事にはまるで興味がない。女子大生として、人としてどうかと思うが、
興味が湧かないのだから仕方がない。誰かを熱心に愛せるほどの確たる信念も無ければ、
周囲に流されてただ漫然と付き合ってみるというような緩さもない。

いろいろな要素が考えられる。容姿が駄目だ、とか、性格が駄目だ、とか。
しかし他人に指摘されたことがないし、自分自身それで損をした覚えがないから、
改善する意味も見当たらない。下手をしたら一生このままかもしれないがそれでもいいと思っている。

……この、心の奥のほうまで深く根を張っている『どうでもいい』という精神は放置していいものだろうか。

そのせいで私は履歴書が書けないのではないだろうか。
特に自分のこととなると何もかもがどうでもよく感じられてきて、結局何もできない。

自己PRなどその最たるものであって、
これを書き切るには自分に過剰なまでの自信が必要なのではないか。

101 名も無きAAのようです 2013/01/27(日) 21:58:49 ID:8BdQ//ls0
……いや、もしかしたら。
書けないのではなく、書かないだけなのかもしれない。
書き方は色々考えられるのだ。例えば、こんな風に――。

(゚、゚トソン「私の強みは、小説を書くことです……」

私は中学生の頃からずっと小説を書き続けており、今もまた新しい作品を書いている途中です。
昨年は文学雑誌の新人賞に応募し、一次選考に通過することが出来ました。
そのため、私は文章力や表現力には一定の自信を持っており、御社で働くにあたっては……。

(゚、゚トソン「あたっては……」

メモ帳に淡々と打ち込んでいた手が止まる。

「誰にでも、一つぐらいは自分の能力というか、アピールポイントがあります。
 まずはそれを探してください。そしてそれを上手く志望する企業の求めているものに繋げるんです」

そんな勝手なことをのたまっていたキャリアセンターの男に問いたい。
小説を書くことが、一体社会において何の役に立つのか。
仮に何らかの形で結び付けられたとして、それは真実といえるのか。

いや、分かっている。悪いのは全て自分なのだ。
まず志望する会社が明確ではない。だから結びつける相手がいない。
そして、それ以前にそれ以外の……何というか、就活に役立ちそうな物事に興味を持たなかったのが悪い。

そういうものだ。

102 名も無きAAのようです 2013/01/27(日) 21:59:49 ID:8BdQ//ls0
したいことって、何だろう。

小学校の頃の作文を思い出した。
あの頃、私はまだ小説という趣味に出会ってすらいなかった。

私は、宇宙飛行士になりたかった。

何故なりたかったのだろう。多分、わけがわからなかったからだと思う。
自分が今立っている地球という惑星……その全容すら想像し難いのに、
その外側に地球の数億倍を超える空間が広がっているなんて、ゾッとするほど興味深い。

小学校の頃に宇宙飛行士になることについて書いた作文は、学校で表彰される羽目になった。
何がよかったのか分からなかったが、表彰状自体は嬉しいものだった。

ただ、今になって思えばあの作文を評価した教師たちは、
私の宇宙飛行士になる夢を応援したのではなく、
単純にそれについて書かれた文章がよく出来ていることを評価したに過ぎなかったのだ。

誰も私が本気で宇宙飛行士になれるなんて期待していなかっただろう。
夢は所詮夢物語であり、現実とは区別して語られるべきなのだ。
しかし私は、少しだけ、本当に宇宙飛行士になれるんじゃないかと思ってしまった。

私は宇宙飛行士になりたかった。そしてその夢は諦めざるを得なかった。
宇宙飛行士になるには気が狂うほどの学力と鍛錬が必要だと知ったからだ。
今更宇宙飛行士になるといっても、成功する確率は万に一つも無いだろう。

私は、分の悪い賭けからは逃げる人間だ。

103 名も無きAAのようです 2013/01/27(日) 22:00:49 ID:8BdQ//ls0
私は小説を書く。文学賞に送って、一次選考に通過したのは本当の話だ。
しかし私は小説家になりたいとは思っていない。なろうとしても、なれないと確信している。

これは一種の諦観だった。かつての私が宇宙飛行士になれなかったのと同じように、
何かほんの少し光明が見えたとしても、それを追い続けることにはさほど希望が無い。
期待するべきじゃない。私には私に似合った役回りがあって、それはほぼ確実に小説家ではない。

では、その役回りとはなんだろう?

就職活動とは、それを見つけるための活動なのかもしれない。
意欲的な一部の学生以外にとっては、
自分がスッポリと落ち着くのに見合った場所を選ぶための、消極的行動。

本気で何かの職に就きたいわけじゃない。
そうすれば取り敢えず世間体と、食い扶持が得られるという、ただそれだけの話だ。

だから就活生は自分自身を躊躇いなく誇張できるのだろう。
そしてそれを企業もよく理解している。そういうものだと、分かってかかる。
集団面接に鉢合わせた全員が何かの部活の部長であってもおかしくはない。

茶番だ。いや、茶番は言い過ぎかもしれない。
誰もがそれをやっているうちに、茶番であっても本気で演じるようになるのだ。
そして見事に演じきった者から目出度く社会人になっていく。

だから、茶番以上に意味がある。目的は無くとも、意味はある。

104 名も無きAAのようです 2013/01/27(日) 22:02:03 ID:8BdQ//ls0
そうやって突き詰めていけば、履歴書を書くのは割合に簡単ではないかと思えてくる。
最早小学校の頃のような素直さ、純粋さは誰にも求められていない。
要は自分を押し殺し、或いは改造し、或いは持ち上げて書けばいいのだ。

面接も同様だろう。如何に外面を小奇麗に整えられるか。
そしてそうやって作り上げた自分を、少なくとも内々定が出るまでは保持しておけばいい。

簡単な、ことだ。

まず素案をメモ帳で打ち込み、文字数を確認する。
それが履歴書の空白にバランスよく当てはまるかどうか、チェックする。
そして下書きの後に、ボールペンで出来るだけ綺麗に線をなぞっていく。

私は自分の文字が嫌いだ。やや丸っこくて、大人っぽさがない。
もしも世の中にワープロやパソコンが発明されていなければ、
私は小説を趣味になどしなかっただろう。

記念すべき一枚目の履歴書が完成した頃には、既に夕刻を過ぎていた。
私はそれを両手で持ち上げ、全体の構成を見てみる。
今更書き直すわけにもいかないから、あくまでも振りだけだ。

証明写真を貼る。無機質な私の顔が無機質な履歴書に糊付けされる。
そうやって出来上がった履歴書をファイルに入れて引き出しにしまい、私は薄く目を閉じる。

達成感に似ているが、どこか粘着質な悪寒を覚える。
椅子から立ち上がって、くるりと振り返り、そこにあるベッドに倒れこんだ。
シーツを握り締める。見つけられない何かを必死に掴もうとしている感じ。

しかし、そこには何も無い。

105 名も無きAAのようです 2013/01/27(日) 22:03:12 ID:8BdQ//ls0
時々、私は無性に自分自身が嫌いになる。
そんなとき、大抵天気は曇りか雨なのだが、因果関係は分からない。

ただ誰とも会いたくなくなって何も視界に入れたくなくなって、何も聴きたくなくなる。
皮膚感覚の全てが麻痺してしまえばいいとさえ思う。
とにかく、生きている、と教えてくる感覚の全てを遮断して閉じこもりたくなる。

それは、殆どが独りで物事を考えている時に生じるから他人に迷惑をかけることはない。
今がまさにそうであり、その原因も分かっている。

私は、私の捻くれた考え方が大嫌いだ。

もう少し素直に生きられないかな、と切々と思う。
他人を、世の中を、自分自身を、穿った見方でしか捉えられない自分のせいで、
私の生き方はより苦痛と悲壮に塗れたものになってしまうのではないだろうか。

そしてもしも、世の中が私の思うほど悪いものではなかったとしても、
私はその良さを正確に受け入れることが出来なくなってしまうのではないだろうか。
そう考えるたび、私は少しずつ、生きているのが嫌になっていく。

小説家になりたい、と素直に思えたら。
就職活動と、素直に向き合えたら。
胸の中から震えが込み上げて、嘔吐するように咳き込んだ。

106 名も無きAAのようです 2013/01/27(日) 22:04:03 ID:8BdQ//ls0
布団の上で身体を丸めて、ひたすら衝動が去るのを待つ。
酸素が肺に刺さっているかのように、痛く、苦しい。
自虐と、後悔と、権利のない他虐がないまぜになって脳裏でうねる。

しかし、この悩みはある意味で贅沢な悩みなのかもしれない。
私は様々なものを所有している。ある程度のお金と、住処、
帰るべき故郷や家族、友人、学歴、その上で、悩む余裕さえ。

悩む暇も無い人が、この世の中には数多と生きているだろうに。

ただ、私には分からない。この懊悩や苦痛は異常なものなのだろうか。
私だけが抱えている、病とも呼べる症状なのか。
それとも、皆これぐらいの悩みは何とも思わずに生きているのだろうか。

(゚、゚トソン「……」

衝動が過ぎ、落ち着いたところで私は布団の上に座る。
ぼんやりと数秒過ごしてから立ち上がり、洗面台へ向かった。

そこにある大きな鏡が、私の顔を濡らした涙の量を示していた。
蛇口をひねって顔を洗う。ひたすら無心に、顔を洗い続ける。

私は、都村トソン。
私は、履歴書に、都村トソンを、書かない。



4.書かない 終わり




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