(゚、゚トソンフラジールのようです

137 名も無きAAのようです 2013/02/01(金) 00:33:57 ID:X83vS9yU0
6.引かない

(゚、゚トソン「はっ……は」

電車が駅に到着するなり私は駆けだした。
行き先は喫茶店『浪漫S区』。時刻は午後二時十分。
約束の時間に、既に遅刻してしまっていた。

(゚、゚トソン「ふ……」

リクルートスーツの上に更にコートを羽織っているせいで走りにくいことこの上ない。
あまり靴音を鳴らすのも恥ずかしいと感じてしまうので、駆けているというよりは早歩きの調子。
その姿は傍から見て余計に滑稽なのでは無いかと考え始めて、結局黙々とした歩行に落ち着く。

(゚、゚トソン「……」

盛岡氏による企業説明会の後、私は更に二つの企業の説明を受けた。
遅刻を余儀なくされたのは最後に訪れた説明会が予想外に長引いたからだ。

私は、盛岡氏のことを考えた。いや、それはある意味で自分自身のことでしかないと言える。
彼は私に、幾つかの見落としがちな事柄を教えてくれた。
どうしようもない性差の存在、働きがいの不在、流されるままの、社会生活。

彼の就職方法はある意味理想的であるのかもしれない。
不況や、その他諸々の理由で盛岡氏には就職先の選択肢が限定されていた。

それは誰も推奨しない、しかし多くの人が最終的に行き着く場所でもあるのだろう。

138 名も無きAAのようです 2013/02/01(金) 00:35:06 ID:X83vS9yU0
したいことの無い私にとって、社会に出たいと思わない私にとって。
彼のような方法で無理矢理社会に追い出されるのは理想的なのかもしれない。

もっとも、時間を追えば、ただ怠惰に沈んで就職活動をやり過ごせば、
いずれはそういう場所に落ち着けるのかもしれない。無駄に気を逸らせなければいいのだ。

しかし、私は盛岡氏と同じ道筋を歩むことは出来ない。
それは彼が男性であり、私が女性であるかららしい。

私は結局、今日受けた三社の説明会で一度も履歴書を提出しなかった。

就職活動においてサークル勧誘のビラのごとくばらまけるだけばらまくものであるはずの履歴書を、
私は虎の子のようにして手元においたままでいたのだ。
興味の湧く企業が無かった、などという理由だけでは済まされないだろう。

私は、漫然と、盛岡氏のことを考えていたのだ。

奇妙な心持ちだった。盛岡氏にやんわりと拒絶された事実自体はさほど驚愕に値しない。
むしろそういった噂は幾らでも耳に入っていたし、
だからこそ女子大生は『社内での女性の立場』についてよく質問を投げかけるのだ。

それにしても、この閉塞にも似た思いは何なのだろう。
もしかして、私は盛岡氏に、過剰なまでに失望してしまったのだろうか。
ようやく掴みかけた就職への興味を持てあまして、藻掻いているのだろうか。

残りの就活期間で盛岡氏のような人物と再会するのは有り得ないだろう。
故に私は、機会の損失を悔いているのか。自分の力では、どうしようもないというのに。

などと、漠然と考えながら歩いていると、いつの間にか『浪漫S区』の前だった。

139 名も無きAAのようです 2013/02/01(金) 00:36:39 ID:X83vS9yU0
少し息を整える。内藤氏との接触はこれで二回目だ。
しかも前回は接触したとは言え、殆ど会話を交わさずに終わってしまった。

あまつさえ今回は、より憂うべき事情があった。
似合いもしない就職活動や試験勉強のせいで、彼への質問が全くまとまっていないのだ。

とは言え遅刻してしまった事実の方が何よりも罪深く思える。
覚悟を決めて自動ドアのボタンを押す。薄暗い店内には、相変わらず客数がまばらだ。

その中で、内藤氏の存在感は、やはり不可思議なまでに際立っていた。
身長と、それにそぐわぬ体型。ゆらりとした、『雰囲気』。
それらが店内の最も奥の隅から十分なまでに異彩を放っていた。

( ^ω^)「あ……都村さん」

私が駆け寄ると内藤氏は仄かな笑みを浮べて迎えてくれた。

(゚、゚トソン「ごめんなさい……遅くなってしまって」

( ^ω^)「いえいえ、構わないんですよ……ほら」

(゚、゚トソン「え?」

( ^ω^)「持ってこれたんです。コーヒー。こぼさずに」

140 名も無きAAのようです 2013/02/01(金) 00:37:32 ID:X83vS9yU0
多少汗ばんでいると言っても過言ではない私だったが、
結局のところホットミルクティーを注文して持ってくることとした。

( ^ω^)「かけますか? コート」

(゚、゚トソン「あ、はい……すいません」

ハンガーを受け取り、コートを被せる。少し身軽になった自分の腰を回してから、席に着いた。
内藤氏は相変わらず分厚いコートを装っている。
その下にあるのは、恐らく私と同じ就活スタイルと言えるだろう。

(゚、゚トソン「内藤さんは……いいんですか? そのままで」

( ^ω^)「ああ、僕は寒がりなので……。動きにくいんですけどね。
      でも、なんだか、落ち着くというか……」

(゚、゚トソン「……あ、そう言えば、口癖……」

( ^ω^)「ええ、頑張りました」

( ^ω^)「イメトレ」

(゚、゚トソン「イメトレ?」

( ^ω^)「はい」

(゚、゚トソン「……なるほど、ですか」

141 名も無きAAのようです 2013/02/01(金) 00:38:19 ID:X83vS9yU0
( ^ω^)「えっと……その服装ってことは……就活ですか?」

(゚、゚トソン「ええ、今日は大学で説明会があったものですから……」

( ^ω^)「ああー……そうか、そうですね。もうこの時期からですよね」

(゚、゚トソン「もう面接まで進んでいる人もいるみたいですけど、私はまだ……」

余白のような会話で時間を埋めながら私は、話の切り出し方を考える。
先週の同時刻に今度こそ訊くべき事を訊こうと決意したのを、私はしっかりと覚えている。
言葉が、喉の隙間で引っ掛かっている気がするのはそのせいだろうか。

畢竟、私は過度に緊張してしまっているのかもしれない。

あらゆる人付き合いは流れるようにして進んでいく、と私は勝手に理解している。

大学に進んだ際には多くの知り合いが出来た。
彼らとはある段階までは常套句だけで話を進めることが出来た。
そこで何らかのイベントが発生する。帰りにケーキを食べに行く、でも飲み会が開催される、でも構わない。

そうしたイベントにおいて、私たちは徐々に自分自身をひけらかしていく。
互いが互いを知ったつもりになって、それぞれのプライベートを侵略していくのだ。
そうして得られた情報は関係が持たれている以上常に保存され、いつ何時でも活用される。

今、この場には流れが存在していない。

幾つもの理由が考えられた。まだ出会って間もないということ。共有した時間が少ないということ。
如何ともし難い年の差、性差。コミュニケーション能力の欠如。本質的に、何を問うべきか、という問題……。
そのどれもが正解であり、だからこそ解きほぐすのに苦心せねばならないのだろう。

143 名も無きAAのようです 2013/02/01(金) 00:39:22 ID:X83vS9yU0
( ^ω^)「あー。懐かしいな、就活……」

(゚、゚トソン「え?」

( ^ω^)「いや、僕もね、やりましたから。もう、七、八年も前になりますけど」

その言葉を聴いた私は――失礼を承知で表現するならば――絶句、した。
彼が現時点で無職であるという事実には疑問の余地が無いだろう。
ハインの証言にせよ、薬の作用にせよ、真っ当な生活を送れているとはとても思えない。

しかし、だからといって最初からそのような状態であったというわけではないのだ。
考えてみれば当然の話であり、高々その程度の話で驚愕する自分を恥ずべきでもあろう。
むしろ、そうした過去があるからこそ、彼の存在は一層、説得力を増しているのではないだろうか。

( ^ω^)「どうか、しましたか?」

(゚、゚トソン「ああ、いえ、違うんです……」

( ^ω^)「意外でした? 僕が、働いてたって……」

(゚、゚トソン「……」

( ^ω^)「僕も、今となっては随分意外だなって、思うんですよ。
      あの頃はまだ両親もいましたし、僕にも働くべき理由みたいなものがあったんでしょうね。
      二年か、三年ぐらい働きましたよ……金融機関で。大変だったな……」

(゚、゚トソン「あ……」

( ^ω^)「はい?」

(゚、゚トソン「私の父も……銀行員なんです。私の、地元で、働いていて……」

144 名も無きAAのようです 2013/02/01(金) 00:40:35 ID:X83vS9yU0
私は父のことをよく知らない。たまに顔を合わせたら恐縮してしまうほどに。
だからこの話を広げることは出来ない。会話の糸口として、とても正解とは言えないだろう。

それでも、私は内藤氏との共通性を見出せたような気がして嬉しくさえあった。
流れるような人付き合いに必要なのは、より多く共通項を発見することである。
ただそれだけで人間関係が円滑になる場面を、私は何度か目撃している。

ただ、内藤氏という『変人』を相手にして、それで構わないのだろうか、という忸怩たる思いも無くはなかった。

( ^ω^)「あー……そうなんですね。弱ったな、当時のことは殆ど覚えてないから……」

(゚、゚トソン「いえ、いいんです。私も、父の仕事をあまり知らなくて」

( ^ω^)「……じゃあ、別に親御さんと同じ仕事に、とかも無いんですね」

(゚、゚トソン「ああはい、そういうのは、全然……」

( ^ω^)「都村さんは、何かやりたいことって、あるんですか?」

内藤氏の何気ない一言は真っ直ぐに私の心へ突き刺さった。
それは直球でありながらも不意打ちであると言える。
まさか内藤氏からそのような……いわば社会的な発言が飛び出すとは思ってもみなかったからだ。

145 名も無きAAのようです 2013/02/01(金) 00:42:02 ID:X83vS9yU0
この一週間、自問自答を繰り返した題材。『したいことは?』
最早盛岡氏の真似をして笑いながら言ってしまいたくなる。そんなもの、ないです、と。
それでも近いうちに私は自分の意思を虚飾せねばならないし、し続けなければならない。

(゚、゚トソン「……ないんです、よ」

その言葉を吐いた私はどんな顔をしていただろう。
筋書きを棒読みする出来の悪い演者だったろうか。それとも、真意を横溢させられただろうか。

最早全世界に知らしめてしまいたい。したいことなど何もない。だからもう訊かないでほしい。
貴方が悪いわけではない。むしろ内藤氏だからこそ、『変人』にだからこそ告げられることもある。

だが、いずれ私は、社会を相手取って同じ懺悔を繰り返さなければならない。
だから、どうか、今はまだ訊かないでほしい。

( ^ω^)「……ハインさんに、聴いたんですけど」

( ^ω^)「都村さんは、小説を書くのが趣味だと」

(゚、゚トソン「あ……はい。そう、です」

(゚、゚トソン「すいません」

( ^ω^)「……どうして謝るんですか?」

(゚、゚トソン「何だか、その、ハインが私のことを色々喋ってるみたいで……。
     いや、内藤さんに知って欲しくなかったというわけではないんです。
     ただ、何だか、とても……恥ずかしくて、申し訳ないような気がして……」

146 名も無きAAのようです 2013/02/01(金) 00:43:27 ID:X83vS9yU0
私にありがちな思考回路を働かせるなら、こういう結論に辿りつくだろう。
すなわち、相手を知ろうとするならば、自分自身をさらけ出すことも覚悟せねばならない、と。
相変わらず私は、六十点程度の解答用紙を提出するのが得意なようだ。

時々、私は自意識過剰である。
自分自身を他人に知られ、そして他人の記憶を埋めてしまっていることが無性に後ろめたく思える。
感覚としては羞恥心に近いのだろうか。相手の記憶の中にいる自分は、どうしようもなく無防備なのだ。

いわれのない被害妄想を弁護しようとする私に、内藤氏は、

( ^ω^)「いえ、そんなことないです。というか、むしろ逆で……」

( ^ω^)「都村さんが小説を書くような人だから、会ってみようと思ったんですよ」

と、やや陽気な調子で言った。

(゚、゚トソン「え……?」

そこで内藤氏が口にした言葉は、私の予想の斜め上を行くものだった。

( ^ω^)「僕も書いていましたから……小説。小学生の頃から、十年ぐらい」

147 名も無きAAのようです 2013/02/01(金) 00:44:24 ID:X83vS9yU0
(゚、゚トソン「小説……ですか?」

( ^ω^)「そうです。もっとも、もう随分前に書くのを止めてしまいましたが……」

私はあらためて内藤氏を繁々と眺めてみた。
瞬きをするだけで消失してしまいそうなほど曖昧な存在感。
幼げな風貌、それに似合わない、生気を失った表情……。

なるほど、確かに、作家という肩書きが似合いそうではある。

(゚、゚トソン「でも、やめてしまったんですね……」

( ^ω^)「ええ。まあ、それ以前に今は物事に集中出来ませんので、
      パソコンの前でキーボードを叩き続けるのも、苦痛にしか感じられないでしょうけど……」

何故、やめたんですか?
そう問いかける前に、内藤氏が矢継ぎ早に言葉を発した。

( ^ω^)「都村さんは」

( ^ω^)「どうして、小説を書くんですか?」

148 名も無きAAのようです 2013/02/01(金) 00:45:23 ID:X83vS9yU0
ふとした瞬間に足を踏み入れることになる思考の奈落。
『何故、私は、小説を書くのか?』という疑問はまさにそれに値していると言えるだろう。
私は深く考え込んだ。不自然なまでの沈黙が私たちの間を支配してもなお、考え続けた。

例えばそれは、そこに漫画が落ちていたから試しに読んでみよう、
というような一種の受動的感覚なのだろうか。煙草があるから吸ってみよう。
お酒があるから飲んでみよう。そんな、即発のような感情の結果に過ぎないのだろうか。

しかし、それにしては私の小説を書くという趣味は長続きしているような気がする。
空白期間は幾つもあれど、私は何とはなしに小説を書いていたし、今もいずれ書くだろうと予期している。

それは、何故なのか。

( ^ω^)「……あー、ごめんなさい。そんなに悩ませようと思ったわけではないんです」

流石に時間の経過を気にしたのか、内藤氏が取り繕う言葉をかけてくれる。

( ^ω^)「ただ、小説を書くっていう好きなことがあるなら、それを目指してもいいんじゃないかなって」

(゚、゚トソン「それは」

(゚、゚トソン「小説家を目指すということですか……?」

( ^ω^)「はい」

私は、今度こそ、息を吐くように笑うのを耐えられなかった。

149 名も無きAAのようです 2013/02/01(金) 00:46:07 ID:X83vS9yU0
(゚、゚トソン「私、そんな、そんな大変なことが出来るような人間では、ないんですよ。
     いや本当に、そうなんです。小説家というか、そういう方達の書く作品って、すごいじゃないですか」

(゚、゚トソン「確かに私は多少そういう趣味を持ってますけど、それはあくまで趣味の範囲で。
     高校や大学にたまたま小説を書くサークルがあったから入りましたけど、
     そうでもなければ書くのを止めてしまう程度の、意志しかありませんでしたから……」

私は何を喋っているのだろう、と頭の隅の私が警鐘を鳴らす。
それ以前に、質問をしに来た私が何故苦心して回答しているのだろうか。
とにかく私は、内藤氏に自分の『程度』とでも言えるものを伝えなければならないと思った。

それが、やけに困難だった。

(゚、゚トソン「私が就職活動をしてるのは、何と言うか、私自身が、そういうレベルなんだなって、
     思うからなんです。色々な、してみたい物事に、手が届かないと、気付いているんです。
     いや、それに、仕事をしながらでも小説は書けますし、まずは、生活の、基盤を……」

自らの無能を語ることは、快楽にも似た愉悦を得られるのではないだろうか。
私はただ頷いて聴いてくれる内藤氏を前にしてひたすら自分を紹介していた。

他人の記憶の中で自分が貶められるのは我慢ならずとも、
自分で自分を貶める分には何の躊躇いも必要無いのだ。

( ^ω^)「……都村さん」

(゚、゚トソン「……な」

(゚、゚トソン「なんですか」

( ^ω^)「落ち着きましょう。紅茶、飲みましょう」

150 名も無きAAのようです 2013/02/01(金) 00:47:16 ID:X83vS9yU0
二週間近く前にハインと講義中に会話していたのをふいに思い出す。
周りが見えなくなってしまうのは私の悪癖だ。
客観的に見て、私よりも内藤氏のほうが遙かに正常人だろう。

(゚、゚トソン「すいません……何だか、自分でもよく分からなくて」

( ^ω^)「そういうものだと思いますよ。僕も、そうでしたから」

( ^ω^)「……」

( ^ω^)「都村さん。才能って、何だと思いますか?」

唐突で抽象的な問いだった。
まさか内藤氏が自己啓発本のような方法で私を前向きに正そうとはするまい。
抽象的な質問は質問者の手によって幾らでも答えをねじ曲げられる。故に厄介だ。

( ^ω^)「僕は、こう思うんです。
      なんていうか……能力の一覧を棒グラフにしたものが横に、
      ほとんど無限にズラッと並んでいるんじゃないかなって」

( ^ω^)「そこには例えば……野球が出来る能力とか、曲を作れる能力とか、
      そんな大したものではなくても、こぼさずにカップを運べる能力とかも、あると思うんですよ。
      人によってその能力値は様々で、グラフも不規則に波打ってるんじゃないでしょうか」

( ^ω^)「そして、人々の平均値から抜きん出ている能力を、才能と呼ぶのではないかと」

152 名も無きAAのようです 2013/02/01(金) 00:49:22 ID:X83vS9yU0
(゚、゚トソン「……はい」

( ^ω^)「僕はあなたの小説を読んだことがありません。
      だから何とも言えないのですが、能力が無限にある以上、才能も存在しているのではないかと」

( ^ω^)「ただ、僕の経験からはっきり言えるのは、僕自身には小説を書く才能が無かった、ということです」

(゚、゚トソン「……どうして、そんなことが言えるんですか?」

( ^ω^)「……どうしてでしょう? 満足できなかったからでしょうか。
      自分の伝えたいことを文字を通して伝えるというのが、
      どうにもまどろっこしかったのではないでしょうか」

頭が痛くなるほど自意識に充ち満ちた主張だ。
人によっては一笑に付すだろうし、私も正直なところ諸手を挙げて賛同したくは無い。

しかし、彼の言葉には私と通底している部分がある。
程度の差はあれ、彼も私も、自分自身にある一線を境に見切りをつけているのだ。
そう思うと変に同意出来ると同時に少し底意地の悪い質問をしてみたくもなる。

(゚、゚トソン「では、内藤さんにはどのような才能があったんですか?」

( ^ω^)「僕は……」

そう言って内藤氏はおもむろにコートの左袖を捲り始めた。

後悔すら浮かばぬほど、突然に。
私は彼がコートを脱がない理由を、寒さ以外で見つけることになった。

( ^ω^)「僕には、自分の手首を傷つける、という才能がありました」

リストカット、などと呼べるほど生易しいものでは無い。
それは巨大な傷痕となって、まるで趣味の悪いブレスレットのように手首を一周していたのだ。

153 名も無きAAのようです 2013/02/01(金) 00:51:05 ID:X83vS9yU0
内藤氏の主張と整合性を取るなら、そこまで出来るからこそ、才能だと言える。
また、そうした自傷行為でさえも能力の一つであると、言えるのだろう。

その傷は非常に歪だった。今までに見たことがない類いの、どす赤いリングだった。

(゚、゚トソン「切ったんですか、それ」

( ^ω^)「切れ味の悪い刃物だと、まず深く傷つけるのが非常に難しいんです。
      ですから、切るというよりは突き立てるんですよ。
      こう、輪になるように刺していったんです。右手で。だから、ちょっと変な傷痕に……」

(゚、゚トソン「……痛そう、ですね」

( ^ω^)「痛かったです。何だか、左手を動かすための神経も少し途絶えたらしくて」

( ^ω^)「今もまだ、あまり上手く動かせないんです。
      もっとも、左手が利かなくても何とかやっていけるものですけれど」

(゚、゚トソン「死なない、ものなんですか。それだけ、しても」

( ^ω^)「僕はそれをしたあと、残った右手で電話をしたんです」

( ^ω^)「119番に」

(゚、゚トソン「……自分で、ですか?」

( ^ω^)「僕には、死ぬ才能が無いものですから」

154 名も無きAAのようです 2013/02/01(金) 00:52:38 ID:X83vS9yU0
救急車をタクシー代わりに使う、などという、はた迷惑なニュース記事を読んだことがあるが、
この場合はそれに近しいのだろうか。目の前の内藤氏はどのような顔をして救急車を呼んだのだろう。
やはり痛切に叫んだのだろうか。或いは、淡々と、今と同じようにしていたのだろうか。

( ^ω^)「ただ、どうも、本当に死ぬ才能が無かったらしくて……。
      お医者さんが仰るには、普通だったら失血死していても不思議では無い傷だったと。
      ただ、私の腕は若さに似合わず枯れ木のようで、出血量が少なかったから助かったと」

( ^ω^)「本当かどうかは分からないですが、ともかく幾つかの手術を経て、生き存えたわけです」

(゚、゚トソン「……自分で救急車を呼んだのは、自分の死ぬ才能を予知していたんですか?」

( ^ω^)「というよりは……」

( ^ω^)「死にたくなかったけれど、周りに誰もいなかった……んですね」

一連の会話の間、内藤氏は口の動き以外に表情を殆ど動かさない。
貼り付けたような笑顔に、まるで青春時代を懐かしむような口調で、痛々しい病歴を語った。
そしてそうした『変人』たり得る経験談こそ、私が本当に求めていたものなのである。

ものだった、はずなのだ。

にも関わらず、この満腹感は何だろうか。
飽きたわけでは無い。確かに興味深い体験談であることも分かる。

それでも、もう十分だった。

私は彼の生き様に何らかの文句をつけたいのかもしれない。
しかし一切は過去の出来事であり、
現在の内藤氏は既に『そのような人間』として出来上がってしまっているのだ。

私は、ハインやデレに時折抱く、他人の人生に対する無力感を彼にも覚えているのかもしれない。

155 名も無きAAのようです 2013/02/01(金) 00:55:12 ID:X83vS9yU0
( ^ω^)「今思えば……あの頃が僕の絶頂期でした。はは。
      Youtubeにアップロードした動画も反響を得ましたしね。
      すぐに消されましたけど。流石にグロテスクすぎたようです」

( ^ω^)「後々、なんだか晒されてしまったときも、一番人気の動画でした」

( ^ω^)「今も、どこかにあるのかもしれないです……」

(゚、゚トソン「内藤さん」

( ^ω^)「はい?」

(゚、゚トソン「……」

(゚、゚トソン「コーヒー、飲みましょう」

(゚、゚トソン「私も、紅茶、飲みますから……」

言うべき言葉が見つからないとき、とりあえず現状を乗り越えようと努力してみる。
場合によってはそれが過剰に持て囃される場合もあるが、
その後に残る虚脱を相手にして、私などに何が出来るというのだろう。

冷え始めた紅茶に無駄に長い時間口をつけたまま、私は思考を巡らせる。

たった二回。電話を含めてさえ三回のコミュニケーションでしか無いのに、
私たちは不必要なまでに互いを暴露し合ってしまったのではないだろうか。

内藤氏は『変人』だ。だから彼が自己顕示欲に溢れているのは分からなくもない。
片や、私もまた小説という創作趣味を持っているから表現への意欲は旺盛なのだろう。
あまつさえ私は就職活動という不慣れな行為によって心身ともに疲弊している。隙がある、といえる。

それでも、ちょうど今のように、理由が納得の種にならない場合もある。

156 名も無きAAのようです 2013/02/01(金) 00:57:23 ID:X83vS9yU0
( ^ω^)「……ごめんなさい」

(゚、゚トソン「え?」

( ^ω^)「僕は、無駄に喋りすぎてしまう癖があって、それは自覚してるんですけど」

( ^ω^)「時々、というか殆どの場合、その衝動を抑えられないんです」

( ^ω^)「今もまた、貴方のような若い女の人にグロテスクなものを見せつけてしまいました」

そういう内藤氏の左袖は、いつの間にか元通りになっていた。

(゚、゚トソン「……いえ、傷痕の、なんというか、様子、は、いいんです……。
     ただそれがもう消えない、取り返しのつかないものだと考えると少し……嫌ですけど」

( ^ω^)「……僕が、精神障害者の……手帳、持ってるって、知ってますか?」

(゚、゚トソン「はい、ハインに……」

( ^ω^)「……僕には、そういう、傍から見れば自殺まがいのことを繰り返す才能もあったらしくて」

( ^ω^)「本当に、ごめんなさい……」

その謝意は本物なのだろう。ただ表情がついてこないだけなのだ。
私はそうやって自分自身を納得させる。彼の湛える微笑みを見ながら、納得させる。
彼が何に対して謝罪しているのかさえ判然としなかったが、それでも私は納得せねばならなかった。

それ以外に、何ができる?

157 名も無きAAのようです 2013/02/01(金) 00:59:46 ID:X83vS9yU0
私はふと壁にかけてある時計に目を向けた。
夕刻に迫る時間。この後、家に帰ってデレの愚痴に付き合わなければならない。
……何と濃密な一日だろう。普段何もしていないツケが回ってきたのだろうか。

( ^ω^)「都村さん……帰りますか?」

(゚、゚トソン「え、あ……」

内藤氏が幾分寂しそうに見えるのは、私の主観でしかないのだろうか。
私は割と本気で悩んでいた。まだデレとの約束までには時間がある。
しかしこの場から逃れてしまいたいのも事実だった。同時に、逃れたくないと思っていることも。

(゚、゚トソン「内藤さん……一つ、教えて下さい」

( ^ω^)「なんです?」

(゚、゚トソン「さっきの才能の話ですけど……私は、結局のところ、小説を諦めた方が良いのでしょうか?」

訊いたところでどうしようもない質問だった。
しかしそれを訊かざるを得ないほどどうしようもない状況なのだ。
案の定内藤氏は押し黙った。それからすぅ、と深く息を吸い込んだ。

( ^ω^)「……僕は、あまり嘘をつきたくないんです。
      それ以前に僕には才能を見抜く才能はありませんから、貴方の才能も見抜けません」

( ^ω^)「それでも構わないなら」

( ^ω^)「今度……小説を、読ませて下さい。そうしたら、少しだけ、何か言えるかもしれません」

158 名も無きAAのようです 2013/02/01(金) 01:00:43 ID:X83vS9yU0
(゚、゚トソン「……」

私は、唖然としてしばらく内藤氏の顔を見つめてしまっていた。
その言葉は、まさに、正論であった。だから答えを返しようもない。
確かにその通りだ。現時点で内藤氏が私の才能の有無について言及できるわけがない。

例え些少であるにせよ、内藤氏は私に可能性を抱いているのだろう。

(゚、゚トソン「……わかりました」

内藤氏は『変人』である。傷痕は最早取り返しがつかない。
ならば、私に出来ることなど何もない。何もないなら、開き直ることも必要だ。
彼が私に才能が無いと断言するであろうことを覚悟してでも、私は小説を読んでもらうべきなのだ。

(゚、゚トソン「それでは、私も、二つ、お願いしていいですか」

( ^ω^)「は……なんですか?」

(゚、゚トソン「まず……敬語、じゃなくていいんですよ。
     内藤さん、私より随分年上ですし……」

( ^ω^)「あ……そうですね。言われてみたら、そうなんですよね……」

( ^ω^)「分かりました……また頑張ります、イメトレ」

159 名も無きAAのようです 2013/02/01(金) 01:02:00 ID:X83vS9yU0
(゚、゚トソン「もう一つは……次に会う日なんですけど」

( ^ω^)「あ、はい」

( ^ω^)「あ、僕は……いつでも大丈夫ですよ……は、は」

(゚、゚トソン「では、水曜日の午後でも構わないですか」

( ^ω^)「次の、ですか?」

(゚、゚トソン「はい……試験期間の関係で、その」

( ^ω^)「わかりました……いや、わかった、ですね」

私は、内藤氏から撤退する権利を有している。
ただ二回、同じ喫茶店で同席しただけの関係、で済ませられるのだ。
しかし何故そうならないのか。或いは何故そう考えられないのか。

その答えを見出すためにも、私はまだ内藤氏から離れるわけにはいかない。
それは『変人』として彼を呼び出した私の義務であり、意志でもある。
今までに感じたことのない何かが得られるならば、それは立派な体験と言えるだろう。

160 名も無きAAのようです 2013/02/01(金) 01:04:21 ID:X83vS9yU0
愉快、だ。

何だか今私は途轍もない充足感を覚えている。
それは直前に感じていた鬱屈を吹き飛ばし、今や異様なまでの昂揚を心に与えている。
何故だろう。内藤氏に小説を読んでもらえるからだろうか。現状を乗り切ったからだろうか。

分からない。分からないが、私はとても嬉しい。

奇妙だ。頭の中でファンファーレが鳴り響いているような具合。
これから何かが始まるような。つまり、今まで続いていた何かが終わるような。
胸が、キリキリと、痛みを伴わずに軋んでいる。これは、何なのだろう。

内藤氏という存在に近づけたのが、そんなに嬉しいのか?

私がもう少し幼かったならこれを恋心か何かだと解釈して自認していたことだろう。
しかし目の前の内藤氏が視界から消えてもなお、この昂揚が失せないことを私は確信している。

(゚、゚トソン「あ」

( ^ω^)「お?」

私が突如発したやや大きな声に、内藤氏は今日初めて口癖を用いた。

(゚、゚トソン「忘れてました。この前のお釣り……お返しします」

( ^ω^)「ああ……いや、別に、いいのに……」

(゚、゚トソン「いえ……それでは、私はお先に、失礼します」

二百円を手渡して私は『浪漫S区』を出た。
やはりまだ、何かが、胸や、頭や、つまり心とやらが在りそうな場所で沸き立っている。
その中で私は一つの言葉を見出した。

私は、生きている、と。

私は、都村トソン。彼は、内藤ホライゾン。
私は、まだ、彼から、手を、引かない。



6.引かない 終わり

163 名も無きAAのようです[sage] 2013/02/01(金) 06:53:09 ID:0P9bV5lI0

トソンを通して内藤の存在を垣間見た気がする
また内藤という鏡を通してトソンの存在を覗き見た気もする

朝からおれは何をいっているんだ!




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